これは何だろう。 地下への入り口?
これは、台形状に土を盛り上げて作られていました。
中央には、人が充分入れる位の空間があります。
木々の近くの、あまり目立たない箇所に建てられているのです。
土作の防火に優れた宝物置場でしょうか。
それとも地下へ通じる秘密の入り口。
この不思議な物体は、浜離宮恩賜庭園の中にあるのです。
海水を引き入れた「潮入の池」で知られる、徳川将軍家の大名庭園。
その華やかな雰囲気とはかけ離れた、地味な存在です。
ぐぐっと近寄ってみると、三方が板張りで、からだを隠せるスペースが設けられています。
のぞき穴があります。
木の板と木槌が下がっています。。
外に突き出た竹の筒も付いています。
実はこれ、鴨猟の大きな仕掛けの一つなのです。
「小覗(このぞき)」という設備です。
庭園なのに、その中で鴨猟ができたのですか?
・・できたのです。
浜離宮の敷地面積は、約25ヘクタール。
東京ドームの約5.5倍もあります。
その中に、鴨場が二つあるのです。
庚申堂鴨場(こうしんどうかもば)と新銭座鴨場(しんせんざかもば)です。
掲示されていた鴨場の案内図で、猟の様子をたどってみましょう。
鴨場は、「元溜り(もとだまり)」という島を配置した大きな池と、幾筋かの水路「引堀(ひきぼり)」からなっています。
秋から冬にかけて、野生の水鳥が鴨場の池に飛来するのです。
オナガガモ、コガモ、マガモ、ホシハジロなどです。
元溜りに、よく訓練されたおとりのアヒルを放しておきます。
この和式のムーミン屋敷の様な建物はなんでしょう。
「大覗(おおのぞき)」という、元溜りを見渡せる監視所です。
この場所で、鴨などの集まり具合や風向きなどを確認し、どの引堀で猟をするかを決めます。
見張りが隠れている小覗で、板木を叩き餌をまくと、おとりのアヒルが引堀に入ります。
鴨はアヒルの後を追う習性があり、つられて引堀に入ってくるのです。
堀に引き入れる鴨の数も、確実に捕獲できる数をあらかじめ決めておき、一定数になると鞴(ふいご)を使って引堀の入り口を泡立てて、後の侵入をさえぎる仕掛けがありました。
捕り手が引堀の小土手に隠れていて、合図を受けて鷹を放ち、鴨を捕らえるのです。
明治以降は、叉手網(さであみ)を使いました。
叉手網とは、ラクロススティックの大きなものを想像してください。
園内に見本がありました。
その網を逃れたものを鷹が飛び立って捕獲するのだそうです。
逃してしまうと、鴨はその場所が危険だと仲間に知らせてしまうのです。
鴨猟は、江戸中期から昭和19年まで行われました。
今、池に浮かぶ水鳥たちは、人間に捕まることなく安心して過ごすことができます。
この時期、浜離宮のお花畑は菜の花の黄色で埋め尽くされます。
その柔らかな色彩に惹かれて、お花見の家族連れなども訪れます。
たしか民話に「かもとりごんべえ」というお話がありました。
鴨を一度にたくさん捕まえようとした権兵衛さん、寒さで凍った鴨の足を縄で縛っていきます。
朝になり氷が溶けた鴨たちが一斉に飛び立ち、権兵衛さんも空へと舞い上がってしまうのです。
さて、権兵衛さんはどこまで飛んでいったのでしょうか。
地方によって、着陸した場所はいろいろあるようです。
できれば権兵衛さん、お花畑の菜の花の上にふうわりと着陸できたらいいな、と思いました。