Silver Fox 007

活字に親しむ

コロナ感染対策で外出自粛を続ける中、皆さんもいろいろ工夫しながら毎日を過ごしておられると思います。私は活字に活路を求める一人。図書館も閉館の今、手持ちの本を読み直したり、かつて読んだ本を思い返してみたり・・・。そんな時に遭遇した中央区関連のお話をさせていただきます。

※写真は、2019年9月28日に行われた築地居留地研究会の「活字が築地にくるまで -印刷とキリスト教伝道ー」を聴講する前に、活字発祥の地碑を訪れた時のものです。

たまたま手にした本に

中央区は数多くの物語に登場しますね。泉鏡花の「日本橋」や平岩弓枝の「御宿かわせみ」、畠中惠の「しゃばけ」、現代ものでは東野圭吾の「新参者」などなど、枚挙にいとまがありません。題名やあらすじから中央区に関連しているなと思うと、つい手に取ってしまう私。

しかし、先日、全く思いがけないところで中央区関連と遭遇。それは新田次郎・藤原正彦著「孤愁 サウダーデ」という本の中でした。モラエスというポルトガル人が1899年にポルトガル在神戸副領事として日本に赴任してきてから、1929年徳島で生涯を終えるまでを綴った著作です。新田氏急逝のため未完だった原稿をご子息の藤原氏が完成、文芸春秋社より出版されました。
たまたまモラエスという人に関心を持ち、新田次郎氏の著作を次々と読んでいた時でもあり、この本を読み始めました。そうしたら、神戸在住のポルトガル人たちが、自国の貿易をいかに振興していくかという話し合いをしている場面で、岸田吟香の精錡水(目薬)が出てきたのです!

岸田吟香の精錡水

精錡水(目薬)といえば、銀座2丁目に薬店を開業した岸田吟香の超有名商品! 新田氏の著作では、容器は瀬戸物の壜で栓がポルトガル名産品のコルクだったということです。これが日本で最初のコルクの使われ方だったという説明がありました。コルクはイギリスやドイツがポルトガルから買い取って輸出していたので、日本人はコルクがポルトガルのものだとは知らなかったともありました。

ふと思い出して、2018年10月20日から開催された中央区立郷土天文館第19回特別展「東京150年記念 中央区の西洋医学事始」のパンフレットを引っ張り出し、岸田吟香のページを再読してみました。精錡水のガラス瓶の容器が、栓なしで掲載されています。また、ヘボン医師から岸田吟香が目の治療を受けたのが1864年で、翌年には薬店を開業したとありました。
新田氏は、コルクが初めて日本にもたらされたのが1864年と書いています。新田氏の著作は、綿密な資料調査に基づいていると言われています。瀬戸物の精錡水容器とコルク栓、どこかに史料があるはずです。この遭遇をきっかけに、岸田吟香についてもっと知りたくなりました。
活字の楽しみは、一つのことが次につながって世界を広げてくれることだなぁと、しみじみ思いました。