にゃんボク

学問のすすめ

 中央区には様々な関りを持つ文豪が数多くいらっしゃいます。中央区に生を受けた方、多感な時期を過ごした方、就職した、或いはビジネスを興した方、はたまた散歩やカフェーにて多くの時を過ごした方など、枚挙にいとまがありません。

そんな縁もゆかりもある方々の作品は、一方でとっつきにくいのも事実。時々、明治期に書かれたものを読みつつも、物語が頭にすっと入ってくるのは現代語訳のものであり、ずっともやもやしたものを感じていました。

(写真は福沢諭吉由来の社交クラブである「交詢社」の入り口の看板)

文語文が読めることによる情報空間の広がりとは

文語文が読めることによる情報空間の広がりとは 学問のすすめ

 日本においても戦前(第二次世界大戦)の文章は戦後の人間には読みにくいのですが、ご案内の通りこれは日本だけの事象ではありません。ロシアでもロシア革命のあとは、ロシア語の文字を変えることで革命以前の文章が読めなくなった。中国も簡体字の導入により昔の文章が読めなくなった。

 これは裏返して言うと、明治期の文語体で書かれたものが読めれば、江戸時代後期のものは読めるようになるから情報空間が広がるということ。これはとてもコストパフォーマンスのよいものである、との示唆に出会いました。

確かに!

これは目から鱗でした。平成と令和がつながっているように、とても遠くに感じる江戸後期と明治は間違いなく繋がっています。

(写真は 島崎藤村、北村透谷が在籍した泰明小学校)

文語体を学ぶ上で

文語体を学ぶ上で 学問のすすめ

 近代の文語文を学ぶ上でいくつかお薦めの本があると思いますが、私は「近代文語文 問題演習」(駿台文庫)を買ってみました。

永井荷風は大正二年に記した「浮世絵の鑑賞」において、

「我邦現代における西洋文明模倣の状況を窺ひ見るに、都市の改築を始めとして家屋什器庭園衣服に至るまで時代の趣味一般の趨勢に徴して、転た余をして日本文華の末路を悲しましむるものあり。
 (中略)
 然るにわが国において歴史の尊重は唯だ保守頑冥の徒が功利的口実の便宜となるのみにして、一般の国民に対してはかへつて学芸の進歩と知識の開発に多大の妨害をなすに過ぎず。(中略)然れども幸ひにしてこの悲憤と絶望とはやがて余をして日本人古来の遺伝性たる諦めの無差別観に入らしむる階梯となりぬ。」

と書いています。


つまり「現代日本における西洋文明模倣の状況を知るに、これは日本文化の末路であると悲しみ、過去の歴史に対する尊重の精神に欠けていることを嘆く。一方で、日本人に古来から遺伝的に存在する「諦め」の境地に入る導きともなる。まぁ、しょうがないなと思えるようにもなる」ということです。

 現代的な感覚とも相容れるものだろうと思いました。今、永井荷風が、コロナ過で閑散とした中央区の街並みを散策したならば、どのような感想を持つのでしょうね。

 Stay at homeの大型連休に際し、近代文語文をもう少し学んでみようと思います。