にゃんボク

時空を超えて繋がる中央区と台湾との関りとは

 皆さま、いかがお過ごしでしょうか。新型コロナウイルス感染症の拡大により、急速に進んでいたグローバリゼーションも急激なブレーキを踏まれ、海外はおろか、都内、県をまたぐ移動も憚れるようになるとは思いもよりませんでした。

そんな中だからこそ、ニューノーマルと言われる今後のウイズコロナ時代をバーチャルに移動することで先取り・・・と考え、今回は、台湾と中央区との時空を超えたつながりについて触れてみたいと思います。

 台湾と言えば、たくさんの見所がありますが、日本統治時代の建築物もその一つ。

写真(撮影:片倉佳史氏)は総統府(旧台湾総督府)。
日本統治時代の台湾を語るうえで欠かせない存在の建物と言われています。
当時としてはまれにみる大型建築であり、そのデザインは風格にあふれています。色遣いと佇まい(たたずまい)はどうでしょう、どことなく東京駅のレンガ造りをも想起させるものではないでしょうか。

上棟式は1915年(大正4年)6月25日に行われ、竣工は約三年後の1919年。
この建物のデザインは日本初ともいわれる全国規模の懸賞金付きコンペ(設計競技)によって決められました。
28名の参加者から7名が入選し、長野宇平治(以下、敬称略)の案が採用されたとのこと。その際の審査員は、
辰野金吾、妻木頼黄(よりなか)、伊藤忠太、野村一郎などが務めています。そして、長野宇平治の案を森山松之助が手を加えて、現在のデザインになっていると言われています。

・・・なんとそうそうたるメンバーなのか、驚きを禁じえません。

辰野金吾と妻木頼黄(よりなか)については、過去にブログにも取り上げております。
https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=938

・辰野金吾:日本銀行や東京駅などを設計し日本近代建築の礎を気付いたと言われた人物。
・妻木頼黄:明智光秀の奥方・妻木煕子(ひろこ)の子孫であり、日本橋の麒麟像をデザイン
・伊藤忠太:言わずと知れた築地本願寺
・長野宇平治:辰野金吾などとともに、その後は日本銀行、日本銀行各支店を設計

今回取り上げたいのは、森山松之助氏

今回取り上げたいのは、森山松之助氏 時空を超えて繋がる中央区と台湾との関りとは

 台湾の台北市内に残る数々の歴史的建造物はこの方(森山松之助)なくして語れません。
優雅さを競うとしたら筆頭ともいわれる監察院(旧台北州庁)、旧台湾総督府専売局、八角堂、旧台北水源地ポンプ室・・・枚挙にいとまがありません。今も残る台湾建築物が、荘厳さとどこか懐かしい雰囲気を思い起こさせるのはここにも理由があるように思えます。

その森山松之助が中央区で設計したのは、ヨネイビル

その森山松之助が中央区で設計したのは、ヨネイビル 時空を超えて繋がる中央区と台湾との関りとは

 ヨネイビルの1階には芦屋発祥のアンリシャルパンティエが入っています。
(初めてこの店に入ったときは「さすが銀座は喫茶店もオシャレさが段違いだわ」と感じ入ったものです)

1階は石張りで重厚で由緒にふさわしく、それでいて意匠は変化に富んでいます。1階部分は左右が非対称で窓がリズミカルに並び、アーチにはねじり柱。この特徴はロマネスク様式のスタイルに由来し、1階と2階のバルコニーはルネサンススタイルとか。
このバルコニーは左右対称にしてあたかも人がいるような気配を生んでいます。私は建築の素人ですが、森山松之助の台湾でのさまざまな様式の経験が生きている建築物と言えるでしょう。

続いて「丸嘉ビル」

続いて「丸嘉ビル」 時空を超えて繋がる中央区と台湾との関りとは

 同じ森山松之助のスピリットが生きるのが「丸嘉ビル」。
百平方メートルあまりの敷地に三階建てとの規模はかつて住まいとともにあった商店の名残りと言われています。銀座において珍しいサイズが、入居するブランドの世界観と合わせて、今なお発信し続けています。

語りつくせないところですが、続きは次回以降に。

知れば知るほど奥深い

知れば知るほど奥深い 時空を超えて繋がる中央区と台湾との関りとは

 本ブログ作成にあたっては、「台北・歴史建築探訪」(片倉佳史 文・写真)を参照いたしました。嬉しいことに、著者の片倉佳史先生よりコメントをいただきました。


「中央区と台湾は日銀本店の長野宇平治、昭和通りを手がけた後藤新平(台湾総督府民政長官)、築地本願寺の台湾物故者の霊の碑など、繋がりが感じられるものがありますね。興味が尽きませんね。」

なんとなんと、これはこれからも取り上げてまいりたいと思います。