重要文化財【 日本橋三越本店 】の魅力(2)
本館内部と屋上金字塔
吹き抜け中央ホールは、大正3年(1914)本館竣工時に「中央ホール」として誕生、広さが214㎡で
採光天井をとりいれていました。
その後、昭和10年(1935)の本館増改築工事により、中央ホールの吹き抜け空間が400㎡と規模を
大きくして生まれ変わり、1階から5階まで打ち抜かれた豪華な大ホールとなりました。
本館1階、隈研吾氏デザインの「白く輝く森」
本館1階は、平成30年(2018)10月に隈研吾氏デザインのもと「白く輝く森」をテーマにリニューアル
オープンしています。
大理石仕上げの柱を木に見立て、柱上部から天井面に向かってひし形の白いアルミパネルが広がり
木の幹から枝葉が広がっていく「樹冠」がモチーフとなっています。
佐藤玄々氏制作の「天女像」
天女像は、昭和29年(1954)の株式会社三越の創業50周年記念
事業の一つとして芸術作品が計画され、佐藤玄々氏が京都の
妙心寺内アトリエで約10年の歳月をかけて制作、昭和35年
(1960)に中央吹抜けホールに据付けられました。
天女が瑞雲に包まれて降下し、花芯に降り立つ瞬間の姿を
描いており、檜の木彫りを主とし、中心部の天女像は樹齢500年
に及ぶ良材を用いています。
丸い台座は七宝焼きで、台座からの像の高さは約11mに及びます。
この「天女像」は「まごころ像」ともいわれ、「ライオン像」
と共に日本橋三越のシンボル的存在となっています。
吹き抜け中央ホールの天井
1階から5階に及ぶ吹き抜け中央ホールの天井部分を3階フロアから見た光景です。
採光天井で、ステンドグラスを通して光が下まで降ってくるようになっています。
三越劇場
三越劇場は、昭和2年(1927)“三越ホール” の名称で、世界でも類を見ない百貨店の中の劇場
として、日本橋三越本店6階に誕生しました。
主に邦楽の温習会、舞踊会、講演会などを開催し、社交場としてお客様へのサービスに利用
されていました。
終戦後の昭和21年(1946)12月に、初代中村吉右衛門丈の一座による歌舞伎上演を機に、名称を
“三越劇場”と改め、戦後の演劇復興の一翼を担いました。
その後、歌舞伎や文楽、新劇などが上演され、戦後の芸術、大衆娯楽の復興に大きな役割を果たして
きました。
現在も「三越落語会」の定期的な公演に加え、トークショーやクラシックコンサートなど幅広い
ジャンルの公演を開催しています。
《 三越劇場の写真は、今回、特に許可をいただき撮影しています。 》
大理石と石膏彫刻で飾られた周壁。
間口約12m(6間)のプロセニアムアーチ
(額縁)の舞台。
舞台上にも石膏彫刻が並びます。
2階席から見た天井のステンドグラス。
屋上の金字塔
本館屋上の金字塔。
大正10年(1921)の西館増築時、展望室のついた高塔が設けられ、夜間には塔光器で照明されて
いました。
この高塔が、後に「金字塔」と呼ばれ、日本橋三越を象徴するものとなりました。