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べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 ⑰
  ~ 元吉原 ~

リモートで、愛する中央区をナビゲートします、rosemary  sea  です。

 

NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~」特番・ありがた山スペシャル、ご覧になりましたでしょうか。ロズマリも瀬川の声の「べらぼうだねぇ」ボタンをいっぱい押したくなりました。

今週は通常の進行でなくスペシャルでした。第17話は5月4日OAです。この「異聞」はそのまま進みます。

今回は「元吉原(もとよしわら)」について申し上げます。

はい、蔦重の時代は浅草「新吉原」なのですが、ここは中央区に敬意を表して「元吉原」について、たっぷり述べたいと思います。

既知、とおっしゃるかたも多いと思いますが、できるだけ詳しく述べるつもりです。

 

なお、冒頭画像は銀座7-12ー9、熊谷(くまがい)稲荷神社の狛狐です。

それでは・・・

 

元吉原・新吉原は・・・

元吉原・新吉原は・・・ べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 ⑰
  ~ 元吉原 ~

画像は銀座3-14-5、宝珠(ほうじゅ)稲荷神社の狛犬です。

 

慶長8年(1603年)、徳川家康が江戸に幕府を開いて以後、諸国から遊女が集まり、江戸城を取り巻くかのように、麹町8丁目、鎌倉河岸、柳町(常盤橋御門付近)の3か所に遊女町ができたが、柳町の遊女屋の主人庄司甚右衛門を代表として提出した遊郭設置の嘆願書が幕府に受理され、条件付きで許可されました。

その条件とは

〇 遊郭以外での遊女稼業は不可

〇 客の逗留は1日1夜

〇 身許不審の客は奉行所へ訴える

とのことでした。

現在の中央区堀留2丁目に相当します葺屋町(ふきやちょう)の辺りに2町四方の土地が、幕府から与えられました。

ただ、そこは湿地帯、葦(あし)や葭(よし)が茂っていましたので埋め立てて元和(げんな)4年(1618年)、に開業となりました。

 

はじめは江戸町・同2丁目・京町1丁目・同2丁目・角町のいわゆる五丁町(ごちょうまち)で、その仲通りを仲之町と称し、営業は昼間に限られていました。

ところが江戸が繁栄するにつれて、

〇 吉原、のちにいう元吉原が江戸の中心部にあり、火災が起こると江戸城まで被害が及ぶ恐れもある

〇 都市経営のうえからも、風紀上からも不都合な存在である

とされ、実際、明暦3年(1657年)、明暦の大火(いわゆる振袖火事)という最大の火事が発生して吉原焼失、江戸城まで火災は達してしまいました。

その年、吉原は浅草観音の裏地・日本堤近くに移転させられました。

新吉原、現在の台東区千束4丁目で営業の新吉原の誕生です。

夜間営業も許され、不夜城ともいうべき歓楽境になりました。

昭和33年(1958年)施行の売春防止法により消滅するまで、この新吉原は存続しました。

 

参考文献 「江戸吉原誌」 興津要:著 作品社刊

 

遊郭の変遷をたどる

遊郭の変遷をたどる べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 ⑰
  ~ 元吉原 ~

画像は銀座7-8-14、豊岩(とよいわ)稲荷神社の狛狐です。

 

徳川家康が幕府を開き、大規模なまちづくりに着手すると、江戸の人口は急速に増加していった。

慶長8年(1603年)頃の江戸には、麹町と鎌倉河岸に10数軒、大橋(現在の常盤橋)の内柳町に20数軒の遊女屋がすでにあったといわれる。

しかし、これらの遊女屋は幕府非公認だったため、慶長10年庄司甚右衛門が中心となり、公認の遊郭設置を求める願書を幕府に提出した。

この陳情は元和【げんな】3年(1617年)に取り上げられた。

設置場所は傾城町(けいせいまち)と定められ、翌年からは家々が立ち並んで営業を開始した。

傾城町は、現在の日本橋人形町2・3丁目・日本橋富沢町の一部を加えた地域と推察される。

また名称については、当時、この一帯は葭(よし)や葦(あし)が生い茂る湿地帯だったため、遊郭の名称を「葭原(よしわら)」としたが、のちに葭の同音嘉字をとって「吉原」に改称したというのが定説になっている。

吉原が開設されると、またたく間に人気が沸騰した。

夜間営業の禁止に伴い、一時期衰退するが、私設の娼館・湯女(ゆな)風呂が禁止されると再び人気を盛り返した。

多くの客を集めて吉原は繁栄したが、明暦2年(1656年)、町奉行は吉原の年寄衆を呼び出し、本所もしくは浅草日本堤への移転を命じた。

この突然の命令の背景には、防火や風紀上の問題があったといわれる。

翌年には明暦の大火(振袖火事)が発生し、吉原もほとんどが焼失したため、同年中に浅草への移転が行われた。

新遊郭は「新吉原」、旧地は「元吉原」と呼んで区別した。

新吉原では移転条件として盛り込んだ夜通し営業が許可されたため、大いに繁盛した。

新吉原が幕府公認の遊郭であるのに対し、未公認で営業する遊郭を「岡場所」と呼んだ。

次第に人気が高まり、宝暦年間(1751年~1764年)には新吉原をしのぐ勢いだったといわれ、有名な岡場所は深川・本所・根津・音羽(おとわ)・浅草などにあったが、天保の改革によって廃止された。

 

~ 歩いてわかる 中央区ものしり百科 より ~

 

・・・NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」、スポンジのように吸収力を発揮して視聴したいと思います。