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三十間堀川の名残

宝町駅から、木挽町通りを銀座一丁目の方に向かって行くと、高速道路の効果が見えてきます。

この下に以前は京橋川が流れていました。

そして白魚橋がかけられていました

 三十間堀川の名残

木挽町仲通りは江戸時代から道幅は広くなったものの、位置の変化はほとんどありません。

古地図などから川の位置を推測する際に参考になりそうです。

 三十間堀川の名残

木挽町仲通りをさらに進みます。

左手に、中央区観光協会もある京橋プラザや区立京橋公園があります。

この辺りは明治時代に埋め立てられた三十軒堀川が流れていました。

 三十間堀川の名残

三十軒堀川は埋め立てられたあと、別の場所に付け替えられました。
付け替え工事は近隣住民の反対で、一度は東京参事会(現在の都議会に相当)で否決されたものの、内務大臣が東京参事会に直接命じる形で実行されることとなりました。
当時小学校用地の確保が必要だったことと、舟運の近代化を図る目的があったのではないか、とも言われます。