異文化受容の過程が面白い!日本最初のクリスマス
こんにちは。アクティブ特派員のHanes(ハネス)です。
時の流れはあっという間で、今年もクリスマスが近づいてきました。
街中はイルミネーションできらめき、ショッピングを楽しむ方々の表情もどこか楽しげに見えます。
今ではすっかり日本に定着したクリスマスですが、日本最初のクリスマスが中央区内で祝われたということをご存知でしたか?
今回はそのクリスマスの実態に迫ってみようと思います!
日本最初のクリスマスについて、清水正雄『東京築地居留地百話』(冬青社、2007年)に下記の描写があります。
1874年(明治7年)12月、日本最初のクリスマス祝会がカローザスの一門によって築地居留地6番館で行われた。原胤昭の回想によると、同年10月10日、東京第一長老教会で洗礼を受けた原は感謝のしるしにクリスマス祝会を思いついた。カローザスの指導の下、新富座の若い衆に提灯をつけたり、クリスマスツリーを立てさせて余興を催し、原自身も着物に袴をつけた殿様スタイルでサンタクロースを務めた。来会者は栗津高明、中村正直、岸田吟香、フォールズ、津田仙、フルベッキ、タムソン、デビッドソン、グリーンなどそうそうたるメンバーで、いかにも日本人的な原らしいクリスマスだったようである。(参考:『植村正久と其の時代2』)
画像:1900年の新富座(出典:国立国会図書館「写真の中の明治・大正-国立国会図書館所蔵写真帳から-」、保護期間満了)
この短い文章を読んだだけでも、新富座の若い衆がクリスマスの準備を手伝ったことや、原が殿様スタイルでサンタクロースを務めたこと等、突っ込みどころがいくつもあるのではないでしょうか?
上記のように、日本最初のクリスマスは現代よりも和洋折衷要素が強いものでしたが、アメリカの宣教師カローザスの指導の下行われたクリスマス祝会ということもあり、最初にしてクリスマスツリーとサンタクロースというクリスマスのシンボルが取り入れられていたことは特筆すべき点なのではないかと思います。
しかし、ここにはどのような料理や飲み物でもって祝ったのかが記されていません。
築地居留地の遺構からはワインボトルや牛骨も出土しているので、西洋文化に通じている日本人たちも多少は西洋料理を楽しんだのでしょうか。
これまでに何度か参照してきた野村高治『築地居留地の料理人 宣教師マダム・ペリーの料理レシピ126』(清風堂書店、2017年)には、ミンスミート(牛の脂身、りんご、干しブドウ、香料を細かく刻んで合わせたもの。パイの中などに入れる)とミンスパイが含まれます。
ミンスパイはクリスマスに食べられる代表的なお菓子で、現代でもクリスマスシーズンになると店頭に並びます。
(昨年、英国からの輸入品のミンスミートが明治屋京橋ストアーで販売されているのを確認しました。)
こちらは日本最初のクリスマスで食べられていたか定かではありませんが、当時の築地居留地でミンスパイが作られていた可能性を裏づけます。
外出自粛が叫ばれる今年のクリスマスには、このレシピを参考にミンスパイを作ってみるのもありかもしれませんね♪
余談になりますが、明治33年(1900年)には、サンタクロースが登場する日本最初の小説と言われる 進藤信義(かえで)著 『さんたくろう』が銀座の教文館から出版されました。
その貴重な文献は、国立国会図書館デジタルコレクションで公開されており、3ページ目にはなんとも形容しがたい和洋折衷のさんたくろう(三太九郎)が描かれており、小説も読むことができます。
日本におけるサンタクロースは、殿様スタイルからどれほどの進化を遂げたのでしょうか... ぜひ一度ご覧ください!
そして、この100年で如何にサンタクロースが洗練されたのかお分かりいただけるはずです。
明治時代において、西洋・キリスト教文化にあまり接する機会のない一般人に対し、サンタクロースをどのように説明したのか、百貨店ではいつからどのようにクリスマスをプロモーションし始めたのか等々、最初のクリスマス以降の受容の過程も気になるところです。