小江戸板橋

風よなぶるな 獅子のたて髪を

 

晴れた休日の朝、日本橋の中央通りに、すれ違う人はほとんどいない。

三越日本橋本店の通りに面したライオン口に、朝日がたっぷりと注ぎ込んでいる。

正面右側のライオン像の台座に、『野生の威厳』のレリーフが嵌め込まれている。

普段は買い物客の人混みで、ほぼ見過ごしてしまうのだが、朝の特権である。

かがみ込んで、銅板に見入った。

 

 時の流れに洗われながらも

 過酷な天災人災にも恬然(てんぜん)として

 静かに王の威厳を保ち続け

 

詩人が目にした過酷な天災人災は、同時代を生きている私たちにも、深い傷を残してきた。

時の流れの中で、威厳を保ち続ける王。

人としての威厳を失うことなく歩むことが、できてきたであろうか。

 

詩は、谷川俊太郎さん。

ライオン像100周年を記念して、書き下ろされたものという。

小学校の教科書に載っていた詩人の『どきん』は、文字からリズムが流れ出ていた。

 

 風よなぶるな 獅子のたて髪を

 

大正3年(1914年)に、気品と勇気と度量の象徴。そして来店されたお客様の守護神として、一対の像が設置された。

詩を読んだ後に見上げたライオン像は、更に威厳を持って感じられた。

 

海外からのお客様がいらした時に、三越へ寄った。

ライオン像に集まる人を見て、何をしているのかと尋ねられた。

「鼻先や足に触ると、ライオンのパワーがもらえるんだよ」

その部分が輝いており、天満宮の撫で牛をたとえて伝えてみた。

当たらずといえども遠からず。

人に愛されてきた証拠である。

 

 風よなぶるな 獅子のたて髪を

 

言い伝えがある。

ライオンの背に、誰にも見られずに跨がると、願いが叶うというのである。

今なら誰もいない。チャンス。

なのだが、少年の好奇心は芽生えても、少年の純粋な行動力は起こらなかった。

 

日本橋の獅子

日本橋の獅子 風よなぶるな 獅子のたて髪を

 

中央区の獅子像といえば、まず上げられるのが日本橋の高欄の獅子像であろう。

明治44年(1911年)に、現在の石造二連アーチ道路橋は竣工した。

高欄の装飾は建築家妻木頼黄(つまきよりなか)が担当し、東京美術大学(現:東京芸術大学)において高村光雲(たかむらこううん)指揮の下で制作された。

奈良東大寺の近くに鎮座する手向山八幡宮の、狛犬を参考にして形作られたという。

日本橋の四隅で東京市の紋章を持つ獅子は、都市の守護を表現している。

 

数寄屋橋の獅子

数寄屋橋の獅子 風よなぶるな 獅子のたて髪を

 

銀座4-1。数寄屋橋公園内に北村西望(きたむらせいぼう)制作の銅像、「燈臺(とうだい)」が設置されている。

兜を身につけた若者が松明をかかげ、それに従うのは獅子である。

新緑の樹木を背景に、力強く立つ。

関東大震災10周年の記念塔である。

台座のプレートには「不意の地震に不断の用意」と記されている。

 

築地の獅子

築地の獅子 風よなぶるな 獅子のたて髪を

 

次は・・、「翼のある獅子」はどうだろう。

築地へ向かう。

移動中、西城秀樹の『若き獅子たち』のサビのメロディが、頭を駆け巡っていた。

スネアドラムが響き、からだを前へと押し出していく。

作詞は阿久悠。作曲は三木たかし。

 「風よなぶるな 獅子のたて髪を

   涙を飾れない時であれば

  闇よかくすな 獅子のたて髪を

   若さを誇らしく思う時に 」

すっかり、昭和の気分である。

 

 風よなぶるな 獅子のたて髪を

 

昭和9年(1934年)に竣工した、古代インド様式を模した石造建造物の築地本願寺。

設計は伊東忠太(いとうちゅうた)。

本堂正面階段の両脇に、有翼の獅子が立っている。

翼を有するライオン。

詩人が想いをはせた、古代エジプトか古代オリエントから続く、聖獣だろうか。

 

 風よなぶるな 獅子のたて髪を
 風よなぶるな 獅子のたて髪を

 

伊東忠太の遊び心は、まだまだある。

ほら隠れていた。

本堂に入り、左右の階段の踊り場の手摺り。

少しとぼけた風貌だが、

確かに、獅子、ライオンだよね。

 

 

緊張を強いる日々は、まだまだ続きそうだ。

それでも、居住まいを正し、胸を張って進みたいと思う。