はじめ

揮毫@中央区<渋沢栄一が生きた時代編>

今年(2021年)のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公、日本資本主義の父といわれる渋沢栄一。中央区で見ることのできる、渋沢栄一が生きた江戸時代末期から明治にかけての著名人によって揮毫された書をご紹介します。

「日本橋」 by 徳川慶喜

「日本橋」 by 徳川慶喜 揮毫@中央区<渋沢栄一が生きた時代編>

明治44年(1911年)に完成した現在の日本橋。その橋柱にある銘板の書「日本橋」と「にほんはし」は、江戸幕府最後の第15代将軍・徳川慶喜(1837~1913年)によって揮毫されたものです(日本橋の上に架かる昭和38年(1963年)完成の高速道路に掲げられた表示は、慶喜による縦書きの書を横書きに切り貼りしたもの)。初代日本橋を架けた徳川家康の子孫である慶喜に揮毫が依頼されました。

ちなみに慶喜は油絵も嗜み、慶喜作とされる油彩画が10点弱確認されていますが、その風景画のほとんどに橋が描かれているそうです。

住所:東京都中央区日本橋川(日本の道路網の始点)

「住吉神社」 by 有栖川宮幟仁親王

「住吉神社」 by 有栖川宮幟仁親王 揮毫@中央区<渋沢栄一が生きた時代編>

住吉神社の扁額は珍しい陶器製で、明治15年(1882年)に陶器問屋が奉納。題字は有栖川宮幟仁(たかひと)親王(1812~1886年)の筆によるものです。有栖川宮家は歴代、書道と歌道の師範を勤め、第5代当主・職仁(よりひと)親王の代に有栖川流書道が創始され、第8代当主・幟仁親王によって大成されました。明治天皇に書道と歌道を指南。「五箇条の御誓文」の正本も幟仁親王が揮毫しました。

ちなみに幟仁親王は、明治天皇から絶大な信任を受けて明治政府を支えた熾仁(たるひと)親王(1835~1895年)の父親です。また、有栖川流書道は、現在の皇室において秋篠宮文仁親王に継承されています。

住所:東京都中央区佃1-1-14

「木村屋」 by 山岡鉄舟

「木村屋」 by 山岡鉄舟 揮毫@中央区<渋沢栄一が生きた時代編>

明治7年(1874年)に誕生したあんぱんは、木村屋(現・木村屋總本店)が元祖です。木村屋總本店のホームページによると、明治8年(1875年)勝海舟、高橋泥舟とともに「幕末の三舟」と称される山岡鉄舟(1836~1888年)が明治天皇の水戸家(隅田川沿いの水戸藩下屋敷)への行幸の折に酒種あんぱんを献上。天皇のお気に召し、皇后は特に愛され、引き続き上納の栄を賜りました。木村屋のあんぱんの大ファンであった鉄舟はたいへん喜び、同年「木村家」屋号の大看板を揮毫したそうです(残念ながら、大看板そのものは関東大震災で焼失)。

住所:東京都中央区銀座4-5-7(銀座本店)

 揮毫@中央区<渋沢栄一が生きた時代編>

ちなみに、嘉永2年(1849年)創業の山本海苔店(中央区日本橋室町)の包装紙を留めるシールにある「東海名産無双佳品」の文字も鉄舟の筆によるものです。山本海苔店のホームぺージによると、二代目山本德治郎は商人ながらも千葉周作の門下生で、同門であった鉄舟が山本海苔を評して「この味、世に並ぶ物なし」と賞賛し、「東海名産無双佳品」と揮毫したそうです。

書を鑑賞しながら、揮毫したその人となりを想像するのも一興かもしれません。