考察 数寄屋橋界隈 ①
~ 数寄屋橋公園 ~

リモートで、愛する中央区をナビゲートします、rosemary sea です。
これよりシリーズでご案内します「考察 数寄屋橋(すきやばし)界隈」、今回はその第1回、「数寄屋橋公園」をご紹介します。
それでは・・・
数寄屋橋公園は・・・

江戸城には、その外濠に架けられた『数寄屋橋』という橋がありました。
昭和33年(1958年)、高速道路が建設されることによりその外濠は埋められ、数寄屋橋自体もその役目を終え、取り壊されました。
晴海通りをまたぐかたちの高速道路としての橋が「新数寄屋橋」と命名されています。
また、ここに数寄屋橋という橋があったことを示すため、以下のような『碑』が立っています。
数寄屋橋の碑

~ 外堀に架けられた橋の記念碑 ~
数寄屋橋は、江戸時代初期に江戸城の外堀に架けられた橋で、有楽町側には有名な南町奉行所があった。
明治以降は、長く銀座の入口として親しまれ、菊田一夫脚本の『君の名は』の舞台としても有名。
外堀の埋め立てに伴い昭和33年(1958年)に撤去された。
現在は数寄屋橋公園内に記念碑が立っている。
ー 歩いてわかる 中央区ものしり百科 より ー

数寄屋橋の碑
寛永6年(西暦1629年)江戸城外廓見附として数寄屋橋が初めて架けられた時は幅4間長3間の木橋であった。
橋名は幕府の数寄屋役人の公宅が門外にあったのに依るという。
見附の城門桝形は維新の際に撤去され、ついで大正大震災後の復興計画によって完成を見た。近代的美観を誇る石橋が銀座の入口を扼(やく)すること(と)なった。
再来30年、首都交通の激増はこの界隈を更に変貌させた。
外濠上を高架車道が、地下には地下鉄が走るようになって、橋も姿を消し、ここは渾然たる大銀座の一劃(いっかく:一画)となった。
本会は茲(ここ)に旧橋の遺材を以(も)って碑を建て、感慨深い東京文化の変遷を偲(しの)ぶよすがとした。
1959年4月
・・・といった文が、裏面に彫られています。

数寄屋橋公園の晴海通り側にありまして
「数寄屋橋 此処に ありき 菊田一夫」
と書かれています。
菊田一夫さんにつきましては、次回「考察 数寄屋橋界隈 ②」にて、詳しく述べさせていただきます。

銀座駅から地上に上がるとすぐにあります公園です。
時計台や記念碑、木々があり、ベンチで休むこともできます。
平成28年(2016年)に、隣りに建てられました「東急プラザ」のオープンに合わせまして、より綺麗にすっきりとリニューアルされました。

時計台は、岡本太郎さんの作品「若い時計台」。
高さ約8mの、触手のついた円錐状の造形物です。
昭和41年(1966年)、銀座ライオンズクラブから東京数寄屋橋ライオンズクラブが独立されましたことを記念して、岡本太郎さんにデザインから依頼されたそうです。
「青少年の健全育成」が目的で、製作されたものです。
また、「数寄屋橋ライオンズクラブ記念誌」には岡本太郎さんのコメントとして、「人間は本来八方に意欲を突き出し、情熱をほとばしらせながら生きたいのだ。時間を超えた時間、機械的でない、人間的な時間を表象したつもり。」と載せられています。
時計の文字盤には「TARO」と、岡本太郎さんの銘が刻まれています。
この公園のシンボルといえるオブジェです。
2001年、2011年と、2度修復され、綺麗に佇んでいます。

上の画像は昭和45年(1970年)、大阪で開催されました「日本万国博覧会」のシンボル「太陽の塔」。
同じく岡本太郎さんの作品です。
この作品で、一躍有名になりました。
本人ともども、メディア露出もかなりのものでした。
「若い時計台」と良く似ていますね。
友好の木
公園内には、ヤマモミジ・メグスリノキ・シダレザクラ・ハナミズキの「スターライト」・同じくハナミズキの「ビーナス」などの木々が植えられています。
シダレザクラには、以下のように書かれたプレートがついています。
A gift from the people of the United States of America to the people of Japan
友好の木 Friendship Blossoms 2013
米国から日本の皆様への贈り物
と、示されています。
「2013」と書かれていますから平成25年のことでしょうが、「友好の木」としてはその前後にもありましたようです。
それは以下のように、説明版に書かれています。
「友好の木 ハナミズキ・イニシアチブ」による寄贈について

ハナミズキは、大正元年(1912年)に当時の東京市長尾崎行雄がアメリカにサクラを3000本寄贈した際、その返礼として大正4年(1915年)に日本へ贈られた木であり、日米友好の象徴とされてきました。
平成24年(2012年)、サクラ寄贈100周年を記念し、また今後の日米の友好関係を見据え、アメリカはハナミズキ約3000本を日本各地に植樹する「友好の木ハナミズキ・イニシアチブ」プロジェクトを開始しました。
数寄屋橋公園は大正3年(1914年)に開園しました。
公園の名前の由来となっている数寄屋橋は、寛永6年(1629年)頃に江戸城外濠に架けられた橋で、昭和4年(1929年)には石造りの二連アーチ橋に架け替えられました。
昭和34年(1959年)外濠の埋め立てに伴い橋は撤去されましたが、現在、数寄屋橋公園は銀座に訪れる多くの方々の待ち合わせや休憩場所として親しまれています。
この度、プロジェクトにより、ハナミズキ20本の寄贈を受け、銀座の玄関口にとも言える数寄屋橋公園に植樹しました。
2016年4月
数寄屋橋公園

銀座5-1-1
東京メトロ銀座線・丸ノ内線・日比谷線 銀座駅 C2出口を出て戻るかたち、すぐです。(中央の黄色部分)
なお、「現在地」と書かれた下の黄色く塗られた部分も、晴海通りに分断されていますが、数寄屋橋公園です。
「燈臺(とうだい)」の像や、宝くじの「銀座チャンスセンター」などがあります。