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考察 数寄屋橋界隈 ③
  ~ 泰明小学校 ~

リモートで、愛する中央区をナビゲートします、rosemary  sea  です。

 

シリーズでご案内します「考察 数寄屋橋界隈」、今回は第3回、「泰明(たいめい)小学校」をご紹介します。

それでは・・・

 

北村透谷 島崎藤村 記念碑

北村透谷 島崎藤村 記念碑 考察 数寄屋橋界隈 ③
  ~ 泰明小学校 ~

 

~ 泰明小学校を卒業した明治の文豪の記念碑 ~

泰明小学校は、明治11年(1878年)、第一大学区第一中学区第17小学泰明学校として設立された。

当時の銀座一帯は、明治5年に発生した大火の反省から不燃性建築物の立ち並ぶ街にすることが決まっていたため、赤レンガづくりの校舎が建てられた。

平成11年、東京都選定歴史的建造物に選定された。

近代ロマン主義文学の開拓者・北村透谷(きたむら とうこく:1868年~1894年)と自然主義文学の代表的作家・島崎藤村(しまざき とうそん:1872年~1943年)は当校に通い、透谷は明治15年、藤村は明治17年に卒業した。

同校の入口には、「島崎藤村 北村透谷 幼き日ここに学ぶ」と刻まれた記念碑がある。

 

ー 歩いてわかる 中央区ものしり百科 より ー

 

・・・記念碑の左脇には「銀座の柳 二世」が植樹されています。

 

 考察 数寄屋橋界隈 ③
  ~ 泰明小学校 ~

北村透谷・島崎藤村記念碑

泰明小学校は明治11年(1878年)6月に開校し、北村透谷と島崎藤村は初期の卒業生でした。

北村透谷(1878~1894)は、現在の神奈川県小田原市に生まれ、明治14年に家族とともに京橋区弥左衛門町(現在の銀座4丁目)に転居し、泰明小学校に通いました。

その後、自由民権運動に惹かれて政治家を志しましたが、後に文筆活動に転じ、文芸評論家・詩人として活動しました。

明治26年(1893年)、雑誌『文芸界』に参加した透谷は、文芸における自由主義を唱え、近代浪漫主義文学の開拓者といわれていました。

代表作は、『楚囚之詩(そしゅうのし)』『蓬莱曲(ほうらいきょく)』『厭世詩家(えんせいしか)と女性』などがあります。

島崎藤村(1872年~1943年)は中山道馬籠宿(まごめしゅく:現在の岐阜県中津川市)に生まれ、明治14年に上京し、京橋区鎗屋町(やりやちょう)にあった姉の嫁ぎ先(現在の銀座4丁目付近)から泰明小学校に通学しました。

その後、姉夫婦が帰郷したため同郷人の家に身を寄せながら同校に通い、卒業しました。

明治学院在学中に文学への関心を深めた藤村は、『文学界』の活動を通して透谷から深い影響を受けました。

代表作は、『若菜集』『春』『夜明け前』などがあり、中でも『破戒(はかい)』は自然主義文学の先駆といわれています。

なお、藤村の著作である『幼き日』『をさなものがたり』には、銀座で過ごした藤村の幼少期が描かれています。

平成30年3月

 

泰明この百年

泰明この百年 考察 数寄屋橋界隈 ③
  ~ 泰明小学校 ~

昭和53年6月

泰明この日百年

泰明小学校は明治11年にこの地の公立小学として創立され、ここに1世紀を経ました。

この間国連の消長時代の変革社会の推移制度の変遷の中で、常に地域の初等基礎教育を担いました。

特に関東大震災・第二次世界大戦時には再度灰燼に帰し(かいじんにきす:燃えてなくなる)ながらも復興し、内実を深め校風を維持し、絶えず誇り高く歩み続け、いまや有為な人材1万人あまりを地元日本の銀座をはじめ広く世に送っています。

また幼稚園は昭和28年に開設され、泰明の一貫教育に貢献しています。

 

・・・泰明幼稚園・泰明小学校はロズマリの甥・姪がかつて通ったところ。

ご紹介できることが嬉しいです。

 

みゆき通りと門扉

みゆき通りと門扉 考察 数寄屋橋界隈 ③
  ~ 泰明小学校 ~

みゆき通りと門扉

この通りは、明治天皇が宮城より海軍兵学校に御行幸された折にお通りになられたことから、みゆき通りと呼称されるようになったといわれている。

また門扉は、その時代南フランスの貴族の館の使用されたものである。

 

 考察 数寄屋橋界隈 ③
  ~ 泰明小学校 ~

・・・みゆき通りです。

右側の建物・塀が泰明小学校。

中央右、人物の右側にありますのがフランス門です。

※ 4月7日撮影です。泰明小学校では入学式が催されており、フランス門には両脇に国旗が掲げられておりました。

※ 校庭の風景などは撮影禁止となっております。

 

 考察 数寄屋橋界隈 ③
  ~ 泰明小学校 ~

東京都選定歴史的建造物

中央区立泰明小学校

 

所在地 中央区銀座5丁目1番13号

設計者 東京都

建築年 昭和4年(1929年)

 

泰明小学校は明治11年に開校し、現在使用されている建物は、関東大震災を機に、耐震・耐火性の高い鉄筋コンクリート造の校舎として建て替えられたものである。

表現主義と呼ばれる建築様式の建物で、カーブを描く壁面やアーチ窓等を使った外観に特徴がある。

L字型校舎の南端に位置する玄関部分には、柱や入口庇(ひさし)等に個性的な装飾が集中して施され、建物の顔となっている。

これらの意匠は、震災復興期につくられた他の小学校ではあまり見受けられない個性的なものである。

また、校庭に面した側の窓は他の学校よりも大きくとられ、開放的な印象を与えている。

蔦のからまる校舎は銀座のシンボルとして人々に親しまれており、今なお往時の景観を残している。

 

 考察 数寄屋橋界隈 ③
  ~ 泰明小学校 ~

「近代化産業遺産 平成20年度 経済産業省」

と、同じくこの小学校の塀に書かれています。

 

 考察 数寄屋橋界隈 ③
  ~ 泰明小学校 ~

・・・隣接する数寄屋橋公園から泰明小学校正門脇に抜ける小路です。

正門前を通過して、東急プラザの手前を左折すると、小学校校舎を一周してまた数寄屋橋公園へ戻ってくることができます。

とても趣きのある小路です。

 

泰明小学校

泰明小学校 考察 数寄屋橋界隈 ③
  ~ 泰明小学校 ~

銀座5-1-13

上の地図では最上部に示されています。

東京メトロ銀座線・丸ノ内線・日比谷線 銀座駅 C2出口が至近です。