小江戸板橋

スタートは日本橋

 

「おーっ。ここが日本橋ですか。

 ずいぶん高いところに架かっているんですね。」

『日本橋』の橋銘板が掲げられた高速道路を見上げながら話す海外からの旅行者。

「いやいやいや。あそこは高速道路でして、名橋日本橋はその下です。」

 

日本橋を案内するベテランガイドさんの鉄板ネタです。

 

街道の起点

街道の起点 スタートは日本橋

 

日本橋が創架されたのは、慶長8年(1603年)でした。

徳川家康が征夷大将軍となり、江戸に幕府を開いた年です。

翌、慶長9年から一里塚を築くなど、東海道をはじめとする五街道が本格的に整えられていくのですが、日本橋はその起点と定められました。

明治以降も日本橋が国道の起点とされます。

明治44年(1911年)に、現在の石造2連アーチ橋の完成に合わせて「東京市道路元標」が建てられました。

現在は、橋の中央に「日本国道路元標」のプレートが埋め込まれています。

橋の北詰西側にある「元標の広場」に、そのレプリカが設置されています。

旅の架け橋

旅の架け橋 スタートは日本橋

 

日本橋を初めて見る方は、日本にどんなイメージを抱くのでしょうか。

海外から羽田空港国際線ターミナル(大田区羽田空港)に降り立ったお客様が、最初に目にすることになる日本橋は、「はねだ日本橋」でしょう。

空港内に、慶長8年の橋を約半分の大きさで復元しています。

世界に飛立つ旅の架け橋となるようにとの願いが込められています。

 

 スタートは日本橋

 

国際線ターミナルの壁面には、「江戸図屏風」に描かれた江戸の町の名所が、鮮やかな陶板壁画にして飾られています。

もちろん大きな弧を描く日本橋界隈も描かれています。

橋を行き交う人々。高札場。魚河岸。大店の並び。

なんと賑やかな江戸の町でしょう。

江戸の賑わい

江戸の賑わい スタートは日本橋

 

「はねだ日本橋」の復元に際して参考となったのが、「江戸東京博物館」(墨田区横網)の復元日本橋です。

博物館の常設展示室は建物の6階が入口ですが、そこで最初に出会うのが、堂々たる構えの日本橋です。

全長28間(約51m)幅4間2尺(約8m)のうち、北側半分が復元されているのです。

用材に檜を使い、擬宝珠も江戸初期の実物を忠実に形づくりました。

博物館は堅苦しい所だと思っている人も、江戸にタイムスリップする感覚で一挙に気分が高まります。

 

 スタートは日本橋

 

江戸の街並みがジオラマで紹介されています。

まぁ、それぞれの人物の表情まで活き活きと写されており、背景のストーリーさえも浮かび上がってくるようです。

何時まで見ていても飽きることがない展示です。

慶喜公の揮毫

慶喜公の揮毫 スタートは日本橋

 

さて、日本橋という橋銘板。第15代将軍徳川慶喜の揮毫によるものということは、知る人ぞ知るトリビアです。

江戸城のお膝元の日本橋。歴代将軍との深い結びつき。

当時の東京市長だった尾崎行雄が揮毫を依頼していますが、日本橋界隈の人々の強い後押しがあったともいわれています。

 スタートは日本橋

 

慶喜公は大正2年(1913年)に、波乱の生涯を閉じています。

ということは、明治44年の創架の時には、間違いなく橋を渡っていたのです。

草薙君のたたずまい

草薙君のたたずまい スタートは日本橋

※ 北区西ヶ原(飛鳥山公園内)に設けられた撮影スポット

 

令和3年の大河ドラマ「青天を衝け」で、徳川慶喜を演じたのは草薙剛。

どうもSMAPのイメージしか持っていなかったのですが、あのたたずまい、所作のひとつ一つに、驚き感心しました。

本当にこういう人だったのかもしれない。

時代の大きな転換期に将軍となり、徳川の世に幕を引き、戊辰戦争の渦中に徹底して恭順の姿勢を貫いた人でした。

スタートは日本橋

スタートは日本橋 スタートは日本橋

 

私のブログネームは「小江戸板橋」。

13年前に名前を決める際、「お江戸日本橋」に掛けたいと思いました。

でも、一気に本丸を名乗るのは何だなと、中山道の一つ手前の板橋の宿で留めました。

さあ今年も、華の日本橋を目指す心意気を持ちながら、楽しく活動を続けて行くつもりです。