住吉の例大祭、藤の花
中央区佃1丁目に鎮座する住吉神社。住吉三神、神功皇后、徳川家康の神霊がお祀りされています。鳥居に掲げられた扁額は陶器でできています。
このような対の言葉を聞いたことがありますか。
「遠藤の亀戸、近藤の佃」
江東区の亀戸天神は、都内有数の藤の花見の名所です。今年も5月5日まで、「学業講祭・藤まつり」が開催されています。
江戸城や日本橋から位置的に遠くの藤の名所「亀戸」に対して、近くの藤の名所なら「佃島」というものです。
江戸時代の名所案内を見ていたら、「住吉の例大祭、藤の花」との記述を見つけました。
佃の住吉神社は、古くから藤の名所であったようです。
現在も、神社の境内には藤棚が設けられています。
藤の花房は、けして大きなものではありません。
それでも藤棚の中にいると、マスクを通して、甘い香りが鼻孔をくすぐります。
水盤舎には、手や口をすすぎ清めるための、石造の水盤が置かれています。天保12年(1841年)に江戸の木綿問屋仲間・白子組によって奉納されています。白子組には大店の越後屋、白木屋、大丸などが所属していました。
佃島は江戸時代初期に、隅田川河口の干潟百間(約180m)四方を埋め立てて築かれました。
徳川家康に縁のあった摂津国佃村の漁民たちが、江戸入府の折に同行し、漁業権を与えられ、埋め立て築島して移り住んだのです。
江戸湊の要衝を占める位置にある佃島に、海上安全、渡航安全の守護神として、住吉神社は正保3年(1646年)に創建されました。
水盤舎の欄間には、浮き彫り彫刻が施されています。佃の渡し風景の奥に、石川島の灯台も見えます。
佃島への交通手段は、手こぎ舟。
海上に浮かぶ島には、藤の花が咲く。
舟で渡るという移動の過程が、近くであっても日常の喧噪を忘れさせてくれる効果を生み、藤の花見の風情を高めたのでしょう。
伝統を守り、つないでいく難しさ
さて、住吉の例大祭ですが、今年も延期となりました。
佃勝晴さんが、4月14日15:00の特派員ブログで伝えてくださったところです。
例大祭の延期が決まる前に、町内の街角にはポスターが貼られていました。
例大祭の運営に携わる、佃住吉講の若衆募集。
ポスターには二次元コードが載せられており、スマホをかざせば、祭りの概要を把握することができました。
応募する人へ向けた、厚い思いを感じることができました。

※歌川広重「名所江戸百景」から「佃しま住吉の祭」。中央に祭礼の大幟(おおのぼり)が立てられ、裸の若衆によって大神輿が海中に担ぎ込まれている様子が見えます。
募集の若衆は、祭りの当日だけの活動ではなく、例大祭の前後約3か月をかけて諸準備から片付けに至るまで、祭り運営の共同作業を担うのです。
佃小橋が架かる佃堀に、大幟の「柱」とそれを支える「抱木(だき)」が水中に埋められており、祭礼の出番を待っています。
祭の準備の一つに、大幟柱を水中から堀り出す作業があります。
埋められた地点まで泥をかい掘りし、大幟六本の長さ20m近くの柱を重機を使って取り出します。
簡単にできる作業ではありません。
そして、大幟を立てる組み立て作業。
統制された指揮の下、それぞれの力を集結して作業がなされなければ、成り立たぬものです。
佃まちかど展示館には神輿が展示され、祭や盆踊りの写真などを通して、佃の地域文化に触れることができます。
神輿や獅子頭の飾り付けを行い、祭当日の巡幸を迎えます。
全身が上気し、躍動し、掛け声が高まり、汗がほとばしる。
互いの役割を認め、力を合わせて、緊張の中で、思い切り楽しむ。
片付けまで含めた共同作業。
厚い時間を過ごすことで培う人間関係。
『祭の仲間も つい、このあいだまで他人だった。』
佃堀のフェンスに飾られている、千貫神輿の巡幸の風景。からだがゾクゾクしてきます。
少子高齢化という現実は、古くから続く伝統ある行事・文化を守り、つないでいくことを、年ごとに難しくしています。
移動性の高い東京において、新しい居住者にも伝統行事に参加する機会を開放し、共に汗を流せる環境を整えて行くことは、その困難を突破する一手になると思います。
次代へのつなぎ手の一員となれる誇りと喜びを体験する事は、共感する人達を増やしていきます。
今、コロナ禍のもとで、活動自体が大きく制限されています。
困難の度合いは更に高くなってしまったのです・・・。が、
佃住吉の例大祭も延期になった一年分、開催できる日を楽しみに、気持ちを溜めて待ちたいと思います。
※ 名所江戸百景 「佃しま住吉の祭」
国立国会図書館デジタルコレクションより