今の日本橋の架橋工事請負人は?
今の日本橋の装飾部分は、
妻木頼黄のデザイン
東京美術学校の制作
というのは、皆さんご存知ですね?
では、装飾以外の橋そのものの、本工事を請け負った業者の方々の名前はご存知でしょうか?
京橋図書館に、その資料があります。
(以下の写真は原本です。
図書館で閲覧できるものは、グリーンのハードカバーの本)
①日本橋紀念誌
安藤安/編
日本橋紀念誌発行所
②開橋記念 日本橋誌
東京印刷株式会社/編・出版
この2冊に記載されている内容を記します。
【本工事請負人】
①日本橋記念誌から一部抜粋およびお名前以外は、私が加筆しています。
第1期 土屋大次郎
相模の石工。なお、ご長男が第一ホテルの創業者
第2期 鈴木由三郎
土木専門 月島の渡しの設置に尽力した。
第3・4期 中野喜三郎
当時中野組、現在のナカノフドー建設の創始者
その他、主な石材納入者
中野喜三郎
鍋島彦七郎
笠間市の稲田石の採石業
服部與兵衛
深川?の石材商
【実際の工事】
②開橋記念 日本橋誌から一部抜粋
第1期
旧橋取り除き、橋台橋脚他の締切掘鑿工事
明治41年12/15〜翌年6/22
第2期
橋台橋脚基礎工事
明治42年6/27〜同9/7
第3期
橋台橋脚築造
明治42年9/17〜翌年12/30
ただし天災等で工期が延び
実際は〜明治44年3/2
第4期
途中3期と途中同時進行
高欄廻り一式橋面その他付随工事
明治43年9/19〜翌44年3/2
職工人足数、延べ10万人超
【渡り初めのコース】
②開橋記念 日本橋誌より
式典は、13:00から行われました。
南西詰から北西詰へ渡り
そして
車道を横断して北東詰めへ行き、
北東詰めから南東詰めへ来て式場に戻った。
戻ったのは、このあと呉服橋に設営された祝賀会場へ行くため。
【参加者】
②開橋記念 日本橋誌より
先導は 東京市長の尾崎行雄
続いて
3代存命の日本橋の名士は
日本橋本町 株式仲買人
木村源兵衛 53歳
妻 千代 46歳
隠居(父)
利兵衛 81歳
妻 きん 65歳
長男
亀次郎 30歳
妻 すず ???
他一家18人
そして、おめでたい御長寿の方として、
浜町の小島ふさ さん
100歳超え
小筆英茂 さん
89歳
そのあと、徳川家達氏他、お偉いさん以下略。
一般人は15時くらいから渡れたらしい。
【呉服橋祝賀会場】
天幕張3棟
ビール・正宗・おでん・団子・サイダーなどなど大盛況だったそうです。
なお、①日本橋記念誌には、
渋沢栄一の祝賀の寄稿文が載っています。
ヨーロッパと、アメリカのニューヨークの街並みを比べて、独自の考えを述べています。
どんな内容か?
不遜ながら、興味を持たれた皆様には、実際に各図書館まで御足労頂き、ご確認願えたら、と思っております。
これほど凄い資料が、中央区の地域資料室にあります。
郷土資料の保管の重要性と共に、是非とも再認識して頂けたら幸いです。
いつものパッシブとは、全く逆のブログで、
いつもの私らしく無い、引用の多い記事で、
大変申し訳ございません。
土木業界にもっと光を!