消えゆく明治の石垣~運河ルネサンス朝潮地区の今~
こんにちは。街あるき大好きなRIEdelです。
水辺の魅力の向上や観光振興を目的とした東京都の取り組みのひとつに「運河ルネサンス」というものがあります。
中央区では、平成18年(2006年)に朝潮運河地区が運河ルネサンス推進地区に指定されました。
最近は運河沿いの土地の再開発と共に遊歩道の整備が急ピッチに進み、明治~大正時代に積み上げられた朝潮運河西岸側(月島2丁目~勝どき6丁目)の石垣が徐々に見えなくなってきています。
埋め立て地である月島地区の歴史的風景を記録に残す目的で、現在の朝潮運河西岸の様子をレポートします。
運河ルネサンス朝潮運河地区の区域
推進地区に指定されたのは、地図の赤い破線で囲まれた部分です。
運河ルネサンス朝潮運河地区の区域(東京都港湾局資料より転載)
朝潮運河を北から順番に歩きながら、明治~大正時代に埋め立てられた月島側の石垣の状態を写真に収めてきました。
地図上の数字は、この後の記事に出てくる場所とリンクしています。
①朝潮大橋~朝潮橋(朝潮運河親水公園)
朝潮運河西岸の最も北側は、現在は朝潮運河親水公園になっており、素敵な遊歩道が完成しています。
朝潮大橋の上から見ると、写真のように護岸はきれいなコンクリートと柵になっていて、明治の面影は全くありません。。。
が、遊歩道の花壇をよく見てみると、そこには石垣らしきものが残っているではありませんか!
月島2丁目の朝潮運河親水公園を北側から撮影
調べてみると、これは月島1号地(現在の月島1丁目~4丁目)が埋め立てられた明治時代に積まれた石を公園整備時に再利用したものだそうです。元々積まれていた姿のままではないにせよ、こうして歴史的護岸の石積みが再利用されているのは嬉しいですね。
②朝潮橋~晴月橋
朝潮橋から晴月橋かけての西岸は、遊歩道をつくるための埋め立て工事がぼちぼち始まっています。
朝潮橋(北側)から撮影
現状は、明治時代の石積みの上2段がわずかに見えていますが、この上にコンクリートを流したりするとあの石たちは見えなくなってしまいそうです。ここも北側の親水公園と同じく、私たちの目に触れる形で石垣の一部は再利用されたりするのでしょうか。
期待したいところです。
③晴月橋~月島川
晴月橋から月島川にかけての西岸、つまり晴海トリトンスクエアの対岸にあたる部分は、現在は埋め立て工事が行われておらず、まだ古い石積みをそのまま見ることができます。
晴月橋(北側)から撮影
貝殻がびっしりついていて元の形が判然としない下のほうの石から、隣り合った石と隙間なくきっちりと積み上げられているのが分かる上のほうの石まで、この日は4段分の石積みが確認できました。
④月島川北岸
朝潮運河沿いは水面上に明治時代の石垣がちらりと見えています。
一方、月島川の北側岸壁はコンクリートですっかり覆われていて、明治時代の石垣はどこにも見当たりません。
晴海トリトンスクエア側から撮影(写真左手の船が並んでいるほうが月島川)
時空を分ける月島4丁目の南角。
ここにうっかり近づくと、明治時代にタイムスリップしちゃうかも!? 笑
⑤月島川~黎明橋
歩行者専用橋・桜小橋と黎明橋(晴海通り)の間も、まだ古い石垣が見えています。
月島川南側に位置する月島2号埋立地(現在の勝どき1丁目~4丁目)の完成は明治27年(1894年)なので、トリトンから見えるここの石垣も実は130年近く前に積まれたものです。
ただし、桜小橋建設時に西岸側に緩やかなスロープを設けており、その影響で石垣の一部は見えなくなっているところもあります。
晴海トリトンスクエア側から撮影(写真左手がトリトンブリッジ、右手が桜小橋)
⑥黎明橋~新月島川
晴海通りの一部でもある黎明橋と新月島川の間は、タワーマンション(パークタワー勝どき)の開発と共に遊歩道の整備も進んでおり、石垣はほぼ消えてしまいました。
黎明橋たもとの遊歩道が切れている部分(写真1枚目の右下)だけ、明治時代の石垣が確認できますね。
黎明橋(北側)から撮影
パークタワー勝どきの朝潮運河側には、防災船着場が設置される予定です。また、晴海側と勝どき側をつなぐ人道橋の建築も進んでおり、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会の時に選手村として活用されたマンション、HARUMI FLAGへの入居が始まれば、この橋を渡って勝どき駅へと向かう人の流れが生まれそうです。
黎明大橋(南側)から撮影
⑦新月島川北岸
新月島川の北岸もパークタワー勝どきの敷地と接しており、遊歩道の整備が進んでいます。
朝潮運河側と同じく石垣の上部分まで土を盛るようなので、明治時代の石垣はすっかり見えなくなりそうな雰囲気です。
黎明大橋(南東側)から撮影
手前から左奥へ流れているのが新月島川
ただ、パークタワー勝どきのホームページを見ると、遊歩道部分のビジュアルが新月島川の途中で切れているので、ひょっとしたら新島橋寄りの石垣はもうしばらく今の状態で楽しめるのかもしれません。
⑧黎明大橋~朝潮小橋
新月島川の南に位置する月島3号埋立地(現在の勝どき5丁目~6丁目)が完成したのは、大正2年(1913年)です。埋立地としては110年近い歴をもつ3号地ですが、朝潮運河護岸には時代を感じさせる石垣はもう見当たりません。
東京湾に近い場所にあるため高い防潮堤が築かれ、その足元には新しい石垣が斜めに積まれています。色白のきれいな石は、2017年~2018年にかけて行われた防潮堤改良建設工事の際に運搬されてきたものです。
上:朝潮小橋から北に向かって撮影
下:朝潮小橋から南に向かって撮影
明治から大正時代にかけて埋め立てられた月島1号地・2号地・3号地。
その歴史が感じられる石垣を探して、朝潮運河沿いを北から南まで歩いてみました。
地域の再開発のスピードが増すなか、このあたりの風景も日々刻刻と変わっています。
朝潮運河の今をあなた自身の目で確かめに来ませんか。