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ドン・ロドリゴの『日本見聞録』に記されている江戸時代初期の「日本橋」地区の姿

熈代勝覧全図

6月2日アップしたブログ「『どうした徳川家康』 幾何学の問題の答えは?」の続編です。そこでドン・ロドリゴがたまたま日本滞在した時に書いた「日本見聞録」の中の江戸時代初期の日本橋の街並みを一部取り上げます。生き生きとした雰囲気が感じられます。

 =市街は一般にはばが広く、また真っすぐ続いてスペインの市街よりも優れている。家は木造2階建てのものもある。外観は劣るが、家の中の美しさはスペイン以上である。街路は清潔で、まるで誰も歩いたものがないと思われるほど。市街にはみな木戸があり、人々の職業によって区画が異なっている。ある町は大工、ある町は靴屋(下駄屋・草履や?)、ある町はかじ屋、仕立て屋、商家ばかりの区画もある。中にはヨーロッパに見られない職人の区画もある。銀商は一区を有し、金商・絹商その他の商人と雑居している状況は見られない。うずら、鴨、雁、鶴などの猟獣など鳥類のために特別な場所が設けられ、別の街には野兎、家兎、猪、鹿などの猟獣が沢山ぶら下げられている。

日本橋の魚河岸市場の最初の姿

日本橋の魚河岸市場の最初の姿 ドン・ロドリゴの『日本見聞録』に記されている江戸時代初期の「日本橋」地区の姿

日本橋魚市場絵図面

また魚市場がある。珍しいので案内させられたが、そこには海の魚、川魚、生きたのと乾ものと、塩漬けしたものとがある。また水を満たしたいくつかの大釜(生け簀か?)に生きた魚をたくさん飼ってあって、欲しい人にはそれを売っている。魚を売る人が多いので、時には往来に出て安売りしている者といる。(ボテ振りですかね)また青物や果物を売る地区も商品の種類が多く、また綺麗に陳列してあって買う物の心をひきつける。また旅館ばかりで、間に他の家をまじえぬ町もいくつかあり、馬の売買にもっぱらな町もある。旅人は2レグワ*(約11.14km)毎に馬を変える習慣(伝馬)があるので、馬の数が多い。旅人が到着すると、馬の歩き具合を示して馬の選択を迫る。醜業婦のいる区はかならず町のはずれになっている。貴族や領主たちは他の住民と異なる区域に住んでいて、階級の異なる者とは雑居しない。

レグワ: スペイン語・ポルトガル語圏で使われた距離の単位(legua)である。日本語ではレグワとも書く。現在のスペインでは5572.7メートル。

これが日本橋の心臓のように言われた魚河岸の初期の姿である。

参考文献:

1) 日本橋駿河町由来記(絶版):駿河銀行第三代頭取 岡野喜一郎殿起案  駿河不動産(株)協力        編集・出版協力: 中央公論事業出版

2) 日本橋私記: 池田弥三郎

3) 日本橋志: 木村毅

4) 熈代勝覧

5) 日本見聞録: ドンロドリゴ

6) 中央区指定文化財2 日本橋魚市場絵図面