蛎殻町の松

河村瑞賢が掘った川~大阪でドボクを眺める

河村瑞賢(1618~1699)は、東廻り航路・西廻り航路の開発、中央区内では新川の開削などを行い、霊岸島一円(現在の新川一丁目)に屋敷があったといわれています(「歩いてわかる中央区ものしり百科」より)。当時の全国の物流に多大な貢献をした偉人といえましょう。
河村瑞賢は、大阪の淀川の河口にあった「九条島」が洪水の一因であると考え、九条島の真ん中をまっすぐに抜ける水路を開削しました。これが現在の「安治川」です。九条島が2つに分かれ、安治川の左岸(南東側)は「九条」、右岸(北西側)は「西九条」と呼ばれるようになり、今もその地名が残っています。

先日、ちょうど西九条でライブがあったので、安治川を見にいき、現地で面白いモノを見つけました。1944年に開通した「安治川トンネル」という、かつては自動車もエレベーターで地下に潜っていたトンネルです。今は自動車の通行部分は廃止されましたが、歩行者や自転車などが多数、エレベーターとトンネルで行き交っています。この付近には歩行者や自転車が渡れる橋がないので、今でも貴重なインフラとして活用されているんですね。
河村瑞賢について詳しく知りたい方には、伊藤潤「江戸を作った男」(毎日新聞出版社、2016年9月)をオススメいたします。