開くのを見ていましたよ。70度。
「見たことがありますよ。橋が開いているのを。」
「えっ、ほんとですか。」
「この近くに住んでいたのよ。」
「最後に橋が開閉したのは、昭和45年11月29日ですから・・。」
「あらっ。歳が分かっちゃいますね。」
「橋の上を都電が走っていたのですが。」
「そう、都電も走っていましたよ。」
「凄いです。実際にご覧になっていたのですね。」
渋谷と月島、新宿と月島を結んでいた2系統の路面電車。
それが勝鬨橋を通っていました。
当時、東洋一の可動橋といわれた勝鬨橋。その開閉する手前に停車している路面電車。
ワクワクする様な構図ではないですか。
この系統の都電が廃止になったのは、昭和43年9月のこと。
ということは、60歳以上の方ならば、そうした場面を直に見ていたはずです。
そのご婦人は、記憶の糸をたぐりながら、はっきり話してくださいました。
勝鬨橋が約7年の工事期間を経て竣工したのは、昭和15年(1940年)6月です。
それまで築地と対岸にあった月島の交通は、佃の渡し、月島の渡し、勝鬨の渡しの三ヵ所の渡船によって支えられていました。
橋の開設により、工場地帯として繁栄していた月島地区との交通の利便性が向上し、埋め立てが進んでいた晴海、豊海地区の開発がはかどりました。
戦前は、一日5回開閉して、河川の交通を確保していました。
隅田川の河口部にあたるこの地域は、貨物船の航行も盛んであり、上流には造船所もあって大型船も出入りしていました。
高い開口部分を確保する為に、二つの橋をバンザイするように跳ね上げます。
その角度は・・、70度。
最高点まで引き上げられれば、まさに立ちはだかる壁のように感じることでしょう。
「かちどき 橋の資料館」
勝鬨橋の西側南詰に、橋の資料館があります。
橋を開閉するために使用していた変電所を改修してできた資料館です。
隅田川の橋に関する資料を、実物の保存、模型、パネル、映像などを活用し展示しています。
発電設備はそのまま保存されています。
耳をすませば、今にも回転音が響いてくるようです。
時間があれば、当時の世相から橋の構造に至るまで収集された、映像資料を視聴してみるのも興味深いですよ。
一回開閉するのにどれくらいの時間がかかったのでしょうか。
その答えを、パンフレットの中に見つけました。
70度まで開くのに70秒かかり、晴海通りは約20分間交通止めになったとのこと。
さあ、重要文化財の上を渡りましょう。
勝鬨橋は、平成19年6月18日に国の重要文化財に指定されています。
全長246m、幅員約26mの双葉跳開橋。
橋脚部の運転室は、城を守る砦にも似て、厳然とたたずみます。
橋脚部から先が、可動部です。
可動部に足を踏み入れたことは、直ぐに体感できます。
道路を走行する、乗用車やトラックの振動が想像以上に強く伝わってきます。
まるで、テーマパークのアトラクション。
私は橋が揺れる感覚は全然大丈夫なのですが、妻は橋脚の隙間から川面が見えただけで、腰が引けてきゃっきゃと騒ぎます。
あらあら、子供かよ。
いいですね。
幹線道路の役割をはたしながらも、細かく見ていけば行くほど発見できる、橋の持つ機能美に驚かされます。
もう幾週間か経てば、隅田川の河畔に桜が咲き誇ります。
重要文化財の橋を彩る景色が、さらに鮮やかに広がることでしょう。