火のよ~じん‼

今年も入船一丁目町会による夜警が1月19日の発会式からの日程で行われました。

青年部を中心に多くの町会員も参加していただき、今年で52年目になります。

以前は一ヶ月ほどの期間を警護していました。担当する回数も多い人は3回4回割り当てられたりしました。うるさがられたり酔っ払いに絡まれたり、どんなに寒い夜でも一生懸命にそして楽しく行ってきました。

コロナ渦の最中も、期間や回る人数、時間帯などは都度調整するなど変化させながらでしたが実施し続けました。

 火のよ~じん‼

今から52年前の1972(昭和47)年、入船一丁目の火災現場の写真です。

1月20日に日付が変わった2時過ぎにすっとこどっこいは叩き起こされました。二時間ほどの間で築地明石町入船二丁目に続く四か所めの火災でした。一晩の連続放火と思われます。当然先の火災場所から消防車は出動していて、写真の場所は消防車も当初間に合わず、区画の半分が燃え落ちました。

このことは以前のブログ 防災訓練 で触れました。

https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=4309

 

これを機に入船一丁目町会では青年部を結成し、冬に夜警を行い始めました。

すっとこどっこいの子供時代は、当然中央区銀座日本橋以外は木造建築が多く密集地帯でもあり、毎年頻繁に火災が起こりました。これらの火災を目撃した地元の方々にとって火事は他人事ではありません。

夜警を始めてからのことですが30年ほど前です。すっとこどっこいが深夜に酔っ払って帰宅したら、家のマンションの斜め前で発泡スチロール製プランターを消火器で火を消している場面に出っくわしました。タクシーの運転手が放火を目撃し追いかけたが逃げられて、消化を優先してくれたそうです。すっとこどっこいは翌日の夜警メンバーでした。

 火のよ~じん‼

入船一丁目町会は夜警の最終日に餅つきを行っています。

コロナ渦の時、餅つきは実施出来ませんでした。

今回は多くの子供達についてもらいました。本当に皆が楽しそうで、ヨイショの掛け声と共に、喜んでついてくれていたと感じました。

 火のよ~じん‼

お餅を無料で配布して食べてもらいます。横にテントを張って食事する場所を提供しました。

つきたての熱い餅を入船一丁目町会婦人部を中心に、あんこ餅・きな粉餅・磯部餅とお雑煮をつくって配りました。

素手ではとても熱くて、お餅を丸めてもらう大変な作業をありがとうございました。

 火のよ~じん‼

入船一丁目の老舗和菓子屋 入船青柳 さんです。

明治24年から132年続いたお店です。

南八丁堀仲の橋青柳の創業からの歴史や森永製菓が初めて取引を行ったお店であったことなどはHanes(ハネス)さんのブログ お菓子で振り返る130年!森永製菓の初期を支えた和菓子屋とは に詳細が書かれています。

https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/?keyword=%E5%85%A5%E8%88%B9%E9%9D%92%E6%9F%B3

 

ご主人は町会青年部として、奥様は町会婦人部長として長年活躍していただきました。

夜警最終日の餅つきは 入船青柳 さんのご協力で行ってきました。

他にも入一地蔵の供養の際のお供えやお参りしてくれた方々へのお土産。お祭りでのお神輿を担いでくれた人達への差し入れなどいつもご協力いただきました。地元の氏神様鉄砲洲神社の祭礼はゴールデンウイークです。酒飲みの多い担ぎ手の人達がこぞって手を伸ばした柏餅は大人気でした。

長年の看板商品は極上の大納言を使用した上品な甘みの菊最中です。

すっとこどっこいの菊最中の想い出は…

大正生まれの頑固義親父に初めて挨拶に行った時、菊最中を地元の銘菓ですと手土産で持参しました。後で聞いた話では「うめ~ぇあんこだな~ぁ」とすっとこどっこいよりも先に気に入ったそうです。強烈な想い出が残りました。

2024年1月末日にて 入船青柳 は長い歴史に幕を下ろされました。

 火のよ~じん‼

餅つきの後、子供達と一緒に入船一丁目の町内を夜警しました。長い列になりました。

拍子木を鳴らしてみんなで 火のよ~じん‼」 の大合唱。

終了後に子供達に渡したジュースやお菓子の数は50人分ほどでした。コロナ前の倍以上です。

本当に火事の無いように注意していきたいですね。