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『司馬江漢』の東海道五十三次 ー 広重じゃないの?

私の妻の実家の案件処理のため5月2日に熱海市来宮法務局を訪問する用事があり、熱海から伊東線に乗車しました。隣に座った人物と会話が始まり、熱海ー来宮間の乗車中の短時間(たった2分間)にその方が「訪問先が「崔如琢美術館」であること・開催中の司馬江漢「東海道五十三次画帳」展に参加すること」を知りました。美術館の名前についている崔如琢氏は中国で著名な現代中国水墨画家の一人で、作品を専門に展示する日本初の美術館です。中国の自然と動植物をダイナミック且つち密に描いた作品が当館1階に常設されており、必見です。特別展として、8月末まで司馬江漢「東海道五十三次画帳」展が開催されていると聞いたので、何の知識もなかったのですが、訪問を約束し別れました。

司馬江漢「東海道五十三次画帳」展が開催されているこの美術館を、翌日訪問しました。この展示会開催場所は遠いですので、わざわざ訪問するのは難しいと思いますが観光目的で伊東方面に行かれることがあればついでに是非訪問することを推奨します。伊豆急行線「富戸駅」から徒歩25分の場所にあります。ガイドをしている皆様であれば、造作のない距離でしょう。

 

江漢の東海道五十三次

江漢の東海道五十三次 『司馬江漢』の東海道五十三次 ー 広重じゃないの?

広重の東海道53次の絵は司馬江漢「東海道五十三次画帳」を元にしているという説があることを知らなかった私は、展示会を見て驚きました。展示会で書籍「司馬江漢 東海道五十三次の真実」はたして広重はこの絵を見たのか?を購入しましたが、電車で知り合った人物はこの著者「對中如雲(たいなかじょうん)」でした。一読し、元絵は司馬江漢のそれであったことを実感しました。

①両者の絵がこれほどよく似ているのは偶然とは言えない、

②江漢が亡くなったのが1818年、広重の「東海道五十三次」が刊行されたのが1833年だから、江漢の方が広重の絵を手本にしたという考え方は成り立たない、

③広重は幕命として、内裏での駒牽行事描画の為上洛したと言われている。道中での名勝に魅せられ、五十三次制作の経緯になったと考えられるが、独自性が現れても良いにも拘わらず江漢の絵と余りにも酷似しているのは何故なのか?

江漢と広重の絵の比較

江漢と広重の絵の比較 『司馬江漢』の東海道五十三次 ー 広重じゃないの?

司馬江漢の53次は、京都始点で日本橋が終点であるのに対し、広重のは日本橋始点で京都三条大橋が終点に設定されています。どちらも53宿場に日本橋と京都を加えて55点で構成されています。広重の浮世絵の大きさは縦24.2cm、横36.7cmの横長・多色刷り版画であるのに対し、江漢のそれは、縦23.3cm、横18.2cmの縦長の肉筆画です。最後の日本橋を描いた場面に「相州於鎌倉七里浜」の」地と「江漢司馬濱の署名・オランダ語で江漢のサインと号の「春波楼」が押されています。

広重は天保3年幕府から京都の朝廷に馬を献上する鵜「八朔温馬進献の儀」に向かう旅に、絵師として同行し、その際の道中スケッチをもとに製作したのが広重の「東海道53次」だとされてきました。広重は東海道を実際には歩いていないという説があります。

箱根と藤沢の両者の絵を比較して、酷似していることを示していることを示したいと思います。勿論異なる部分もありがすが。。

 

 

司馬江漢像                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         

司馬江漢像                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          『司馬江漢』の東海道五十三次 ー 広重じゃないの?

明治近代洋画界の先駆者である高橋由一は、日本における洋画創始者である江漢を敬慕し、その自画像を探し求めついに探し出し肖像画を描き上げました。(東京芸術大学美術館蔵)

(司馬江漢と広重関連年表)

延享4年(1747年)江戸四谷に生まれる。本名は安藤吉次郎                        宝暦11年(1761年)狩野派に入門                                    明和2年(1765年)鈴木晴信に入門                                   安永9年(1780年)江戸参府のオランダ商館長と面会?                                 天明3年(1783年)銅版画を日本で初めて制作                               寛政9年(1797年)広重生まれる                                       享和2年(1802年)広重「東海道中膝栗毛」刊行                                    文化9年(1812年)江漢、江戸を出発、京都へ 翌春江戸へ帰着                         文化10年(1813年)江漢、東海道五十三次制作?                                  文政2年(1818年)江漢、10月死去                                     天保4年(1833年)広重、保永堂から「東海道五十三次」を刊行                      安政5年(1858年)広重、コレラに羅漢、死去

【参考文献】司馬江漢 東海道五十三次の真実」はたして広重はこの絵を見た? 著者:對中如雲 令和2年発刊

 

崔如琢美術館

〒413‐0231
静岡県伊東市富戸1101-10
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