お江戸の闇を引き裂いて
江戸の闇を引き裂いて、屋根から屋根へ跳び移る影。
目明したちのかざす龕灯(がんどう)に照らされ、浮かび上がった黒装束は・・。
「アレハ、ニンジャ、デスカ?」
浅草でkimonoを着て、そぞろ歩きを楽しむ海外からのお客様。
「忍者ではありません。千両箱を盗み出した盗賊です。その名は鼠小僧次郎吉!」
伝法院通りの浅草公会堂前に「鼠小僧の像」が、屋根の上に建っています。
きりりと引き締まった顔立ちは、十八世中村勘三郎さんに似せて作られています。
コクーン歌舞伎や平成中村座を立ち上げた大きな行動力と、切れ味の鋭い動き、人を引き付けてやまない温かい魅力を持った歌舞伎役者。
「野田版鼠小僧」でも主役を演じました。
忍者と盗賊と
※ 小伝馬町牢屋敷の模型を正面から
なるほど、黒装束に身をつつみ、身軽に屋根の上を疾駆するとなれば、海外の方が見て「忍者」と思われても不思議はないですね。
でも、私たちは「忍者」と「盗賊」は一目で区別がつきます。
時代背景や、盗みの目的物、定番の頬被りスタイルなどから結び付けます。
忍びの技には、情報収集、窃盗、逃走などがあります。
「盗賊」も忍びの技と類似の技法を駆使して目的を果たします。
両者の持つ特殊技能には重複する部分がとても大きいのでしょう。
大盗賊として名を馳せた石川五右衛門は、伊賀忍者の頭目の一人である百地三太夫の弟子だったとする説もあります。
それでも舞台や映像で躍動する黒装束を、直感的に「忍者」と「盗賊」に区別がつくのは、作品の醸し出す雰囲気を、あらかじめ観客も十分に理解し共有しているからなのでしょうか。
鼠小僧の縁起物
江戸の街を騒がせた鼠小僧の墓は、両国の回向院にあります。
大名屋敷から奪った金銭を貧しい人に配ったという話はあくまでも伝説のようですが、単独で動き、捕まる前に親族の縁を切って累が及ばないようにしたことなどが、義賊のイメージを作っていったようです。
墓石の前には「御前立の石」が建てられています。
千両箱を抱え、なかなか捕まらなかった鼠小僧にあやかり、勝負運、賭け事、金運のお守りとして削り取る風習があります。
大名屋敷にも「するりと入れる」ことから、受験の願掛けをする人も多いようです。
ねずみ、現る。
中央区にも、鼠小僧は出現しています。
十思スクエア別館内にある「小伝馬町牢屋敷展示館」。
江戸最大の規模を誇った牢屋敷の施設が、模型で再現されています。
そこの屋根の上に、ほら。
※ 人形町三丁目に立つ「堺町・葺屋町芝居町跡」の案内板
意外に鼠小僧は、区内に縁があります。
出生もほぼ特定されており、寛政7年(1795年)、堺町の芝居小屋中村座の木戸番、貞次郎の長男として生まれました。
名前は次郎吉。
堺町に居住して鳶職人をしていましたが、博打で身を崩していきます。
※ 江戸時代の芝居小屋の賑わう街並み
人の目が手薄な大名屋敷の奥向きばかりを狙い、盗みを続けます。
天保3年(1832年)、日本橋浜町の小幡藩主・松平宮内少輔の屋敷に忍び入って捕らえられます。
北町奉行所で詮議を受け、縁者なしとして小伝馬町牢屋敷に送られるのです。
女ねずみ小僧
ご縁があって、北区のHOKUTOPIA演劇祭2024に参加させていただきました。
次郎吉の孫の、女ねずみ小僧一家が活躍するお芝居です。
ねずみというより、キャッツ・アイのような華やかなお姉さまたちです。
私はというと、捕縛しようとして取り逃がしてしまう、麗しい花魁にからきし弱い奉行の役。
妻が言います。「いつも威張っているのに、きれいな女の人の前ではデレデレする人って嫌だな。」
「えっ。あれはそういう役を演じただけなんだよ。お話の中に入り込み過ぎないでね。」
はい、我が家は、いつも円満です。