中央区のセラピードッグ 名犬チロリ
こんにちは、湊っ子ちゃんです。
築地川銀座公園に、名犬チロリの像があります。チロリは、日本初のセラピードッグとして、病気の方や、体の不自由な方、お年寄りなどに寄り添い、たくさんの人に希望を与えた犬です。
チロリについて、あまり知らなかった私は、国際セラピードッグ協会代表であり、チロリの育ての親、日本橋人形町生まれでいらっしゃる、大木トオルさんの著書「名犬チロリ」という本を読みました。そこで、私なりに、チロリについてご紹介したいと思います。
♪ 名犬チロリの物語
1992年初夏、チロリは、心ない人間により傷を負い、子犬と一緒に捨てられていたところを、近所の子供たちに助けられました。「チロリ」とは、子供たちがつけた名前です。
無人の小屋で、隠れるように暮らすことになったチロリ。このとき、大木トオルさんとの出会いがありました。大木さんと子供たち、そしてチロリと子犬たちとの交流が始まります。
ある日、チロリは不審な犬から、子犬を守るために吠えたてたことが仇となり、その存在が公となって、保健所に送られてしまいました。そして、危機一髪のところで、チロリは大木さんに助けられたのです。大木さんの、チロリを助けたい!という強い熱意に他なりませんでした。
そしてこの日から、チロリの新しい日々がはじまるのです。
大木さんは、かねてより、何匹ものシベリアンハスキーを、セラピードッグとして養成していました。そこへ、チロリを仲間入りさせたのです。
体の大きさも力も、何もかも違うチロリ。はじめは心配事ばかりでしたが、チロリは、だてに人生経験を踏んだ犬ではありませんでした。持ち前の負けん気と、生き抜く賢さで、いつのまにかシベリアンハスキーたちを子分にしてしまったのです。
それと同時に、チロリには深い愛情とやさしさ、そして相手に共鳴する力が備わっていました。それは、セラピードッグとしての資質そのものでした。チロリには、自然とその能力が備わっていたのです。
仲間のシベリアンハスキーが病気になった時のことです。歩くのもままならない友達に寄り添い、一歩進んでは振り返り、歩幅を合わせるチロリ。
- 苦しみをともにしているチロリの額には、ブラニガンを心配するかのようなシワがきざまれていきました。- (「名犬チロリ」大木トオル 岩崎書店より引用)
その前後のページに添えられている写真には、友達を心配するチロリが写っています。その表情は、私にはまるで人間のように見えました。その表情を見ていると、チロリの深い感情が迫ってくるのです。本当に友達を心配し、何か自分にできることはないかと、考えを巡らせている表情なのです。
そして、もう一枚の写真。セラピードッグとして活躍し始めてからの写真も、本のなかにありました。こちらは、車椅子のお年寄りに寄り添っての記念撮影。チロリは、にっこり笑っているのです。清々しい表情をして、目を輝かせ、笑っています。そこには、お年寄りへの心遣いと、セラピードッグという仕事への誇りが感じられます。
私は、この2枚の写真に釘付けになりました。こんなにも表情豊かな犬を、見たことはありません。そして思ったことは、人を癒すのは、犬だから、とか、人間だから、とかではないんだな、ということです。これらすべてのことは、”チロリなんだ”ということなのです。
本のなかには、チロリがセラピードッグとして引き起こした、奇跡とも呼べる出来事や、人々との交流、チロリの愛くるしいエピソード、そして、天国に旅立つまでのチロリが、やさしいまなざしで描かれています。漢字には、読み仮名もふってありますので、お子様にもお読みいただけます。
私も、チロリに会ってみたかったなぁ・・・本を読み終えたとき、そんな思いが私の胸を満たしました。
「名犬チロリ 日本初のセラピードッグになった捨て犬の物語」大木トオル著 岩崎書店
「名犬チロリ記念碑」築地川銀座公園 中央区築地一丁目13-20
記念碑の足元には、銘板が埋め込まれていました。「EYE CONTACT SWEET LITTLE DARLING」の文字が刻まれています。”アイコンタクト”は、チロリがもっとも自分らしさを発揮した実践でした。
チロリの目にみつめられると、全部こちらのことを分かってくれている、という不思議な安心感に包まれたといいます。チロリは常に、目の前の相手へ、惜しみない愛情を注ぎました。
まだ日本では、セラピードッグの存在が知られていなかった当時、その礎を築き、社会福祉に貢献した犬、チロリ。築地川銀座公園を訪れたとき、チロリのブロンズ像の空を、たくさんの鳩が飛んでゆきました。まるで、一幅の絵のようでした。
チロリは今も、たくさんの人に愛されています。
中央区観光協会特派員 湊っ子ちゃん
第59号 令和元年9月5日