阿舒庵亭主

日本橋・五街道の起点

「お江戸日本橋七つ立ち」の俗謡の起源は18世紀末まで遡ると言われています。歌詞は18番まであって「矢橋で大津の都入り」で終わります。日本橋を出発して、東海道を旅して京都に着くという歌です。江戸から京都までの東海道の距離は約500キロあります。江戸時代の男性は一日に40キロ歩いたと言われますので、12日から13日で歩きました。女性の場合は4、5日余計にかかったようです。

 日本橋・五街道の起点

橋のたもとには元標の広場があり日本道路元標の複製と東京道路元標があります。また日本各地までの距離を表す二基の里程標があります。意外と知られていませんが、実際の日本道路元標は橋の中央にあります。現在では道路元標には法的意味はありませんが、すべての日本の道は日本橋から始まります。徳川家康が江戸と各地を結ぶが街道を整備しはじめ、秀忠の時代に基幹道路が定められ道中奉行の管理下で整備が進められました。

 日本橋・五街道の起点
 日本橋・五街道の起点
 日本橋・五街道の起点
 日本橋・五街道の起点
 日本橋・五街道の起点

日本橋から銀座方向に歩くと旧東海道と旧甲州街道が始まります。東海道は京都の三条大橋まで続きます。甲州街道は約220キロで下諏訪まで続き、そこで中山道と合流します。神田方向に歩くと旧中山道と旧日光街道・旧奥州街道が始まります。中山道は約510キロあり、信州、美濃などの内陸部を通り近江の草津宿で東海道と合流します。日光街道は約130キロあり、日光東照宮の神橋まで続いています。日光街道は宇都宮宿で奥州街道と分岐します。奥州街道は白河宿(陸奥白川)までが道中奉行の管轄にあった街道です。白河宿以降、津軽半島の三厩宿までは仙台道、盛岡道、松前街道などと呼ばれるものの、一般には奥州街道と言われています。その距離は約800キロあります。

現在でも多くの街道ウオーカーと呼ばれる人たちが日本橋を起点とし、あるいは日本橋を目的地として趣味で五街道を歩いています。かく云う阿舒庵亭主も街道ウオーカーの端くれで60歳を超えたころから街道を歩き始め日本橋から歩き始めて五街道の全てを歩き終えました。日本橋から歩き始めて到達した各街道の終点の写真を載せておきます。

 

東海道終点・京都三条大橋

東海道終点・京都三条大橋 日本橋・五街道の起点

甲州街道と中山道の合流点・下諏訪宿

甲州街道と中山道の合流点・下諏訪宿 日本橋・五街道の起点

中山道と東海道合流点・草津宿

中山道と東海道合流点・草津宿 日本橋・五街道の起点

日光街道終点・神橋

日光街道終点・神橋 日本橋・五街道の起点

奥州街道終点・三厩宿

奥州街道終点・三厩宿 日本橋・五街道の起点