その他
-
岡本玄冶の墓
第17回中央区観光検定の申込みが10月21日から開始されます。中央区観光検定の公式テキストに登場する徳川家光の痘瘡を治した御典医岡本玄冶の屋敷は中央区日本橋人形町にありましたが(玄冶店跡)、岡本玄冶の墓はどこにあるのか確認しました。 岡本玄冶の墓は渋谷区広尾にある祥雲寺にある瑞泉山墓地にあります。写真の真ん中にある墓石が岡本玄冶の墓です。日比谷線広尾駅から祥雲寺までの参道は今も飲食店や銭湯がある賑やかなところです。瑞泉山墓地は福岡藩初代藩主黒田長政の墓など黒田家にゆかりのある墓があるので有名です。その中に岡本玄冶の墓はあって、その存在が薄くなっています。 岡本玄冶の墓は江戸時代の墓ではなく、ご子孫の方が大正12年の関東大震災で壊れたので昭和17年に再建されたと書いていました。 中央区観光検定のテキストに登場することが偶然地図上に現れるとつい伺いたくなります。試験勉強の一息に現地に行くのはいかがでしょうか。
歴史・文化その他パンちゃん
記事を読む
-
東京中心部を守る「荒川放水路」通水100周年
今回は中央区外のお話ですが、中央区を含む都心部が恩恵を受けているインフラの周年イベントがあったので書きます。1924(大正13)年10月12日に「荒川放水路」が通水されてから、ちょうど100年が経ちました。荒川放水路という名称には馴染みがない方も多いかもしれません。北区内で隅田川と分かれ、足立区、葛飾区、墨田区、江東区、江戸川区を流れて東京湾に注ぐ全長22kmの放水路、今は都内では荒川と呼ばれています。埼玉県から流下してくる荒川は、明治時代までは今の隅田川を流れて東京湾に注いでいました。1910(明治43)年の大洪水をきっかけに、荒川の洪水対応能力を向上させるために、荒川放水路が建設されることとなりました。隅田川が荒川と分かれる地点に「岩淵水門」が設置されたことで、洪水時に荒川から隅田川に流れ込む水量を調節することが可能となりました。その後高度成長期の地盤沈下と既設の水門の老朽化が進んだため、新しい岩淵水門(通称:青水門)が1982(昭和57)年に完成しました。その際に、歴史的価値を有する旧岩淵水門(通称:赤水門)は撤去されず残されることになりました。さまざまな技術検討や議論がなされたそうです。旧岩淵水門は2024(令和6)年8月15日に国指定重要文化財(建造物)に指定されました。中央区を含む東京の中心部が荒川の洪水から守られているのは、上流・中流部のさまざまな治水施設のほか、荒川放水路と岩淵水門のおかげです。記憶に新しい2019(令和元)年10月の台風第19号(令和元年東日本台風)が上陸したのも、10月12日のことでした。なんたる偶然。このときも岩淵水門が閉じられ、隅田川に荒川の洪水が流れ込むのを防ぎました。あまり知られていないかもしれませんが、岩淵水門がなかったら都心部は大災害になっていました。2024(令和6)年10月12日には、放水路通水100周年を祝うイベントが現地で開催され、多数の市民が来場しました。災害対策の歴史を知り、今後の災害に備えることはとても重要です。学びの多いいいイベントでした。
特派員おすすめ情報イベント情報歴史・文化お役立ち情報その他蛎殻町の松
記事を読む
-
Looking up at high-rise building ー 高層ビルを見上げる ー ③ ~ グラントウキョウノースタワー ~
rosemary sea
-
Let’s Go to the “Bettara-ichi” on October 19th and 20th!
やすべえ
-
車の左側通行
yaz
-
【伊奈氏シリーズその6】イイナパーク川口(埼玉県川口市)
蛎殻町の松
-
第11回 江戸東京・川のなぜなぜ舟めぐり 楽しく勉強になりました
銀造
-
「讃岐のこんぴら酒」を造って230有余年、金刀比羅宮へ御神酒を奉納している西野金陵さん、酒類部・東京営業所(@八丁堀)を訪ねました!
New River
-
中央区外で知る在りし日の鎧河岸
Hanes
-
ニョキニョキ
皐月の鯉の吹き流し
-
大相撲九月場所観戦
Monet.C
-
Gono-chan Sports Day Invitation (Sunday, October 6, 2024)
やすべえ