浜離宮新春放鷹術実演会と諏訪とのご縁
この週末に、蓼科・諏訪に行くことになっていたため、特派員仲間のよこやんさんに、中央区とのつながり何かあるかな〜と相談したところ、毎年1月3日に浜離宮で行われる新春恒例の放鷹術が諏訪流だよ、と教えてもらいました。
ということで、諏訪大社をほぼ25年ぶり?くらいに訪問し、諏訪流放鷹術について調べてみました。
諏訪流放鷹術は、諏訪大社の神事「贄鷹(にえたか)」を司った神官、諏訪氏大祝(おおほおり)一族の技をルーツとする日本最古の鷹狩りの流派。諏訪大社の贄鷹は、御射山祭において、農作物を害鳥から守る神仏の化身として鷹を祀り、鷹で捕らえた獲物を神に供え五穀豊穣を祈念するものだそうです。特に上社は鷹との繋がりが強く、上社では普賢・観音菩薩が弟鷹(だい:メス)として、下社では不動・毘沙門天が兄鷹(しょう:オス)として姿を現したと伝えられています。
諏訪氏に仕える鷹匠の技は「諏訪流」と称されるようになり、戦国時代以降、小林家によって伝承されました。
織田信長に仕えた、初代諏訪流鷹師 小林家次は、信長から鷹の字を与えられ、家鷹と名乗るようになったと言われています。家鷹は信長亡き後に徳川家康に召し抱えられ、小林家は徳川将軍家直参鷹匠となり、幕末まで仕えました。
明治維新後、小林家は明治天皇の命により宮内省に皇室鷹匠として召し抱えられ、古技保存として鷹狩りを伝承する役目を担い、十三代目小林鳩三、十四代目小林宇太郎は、浜御苑(現浜離宮恩賜庭園)や新宿御苑の整備を任されました。
諏訪氏のお城、高島城も訪問しました。それまでの私の諏訪氏の知識といえば、武田信玄に滅ぼされて、側室となって武田勝頼を産んだ諏訪御料人のイメージしかありませんでした・・。本能寺の変後に旧領回復していたんですね。
諏訪氏が諏訪大社の御祭神、諏訪大神の子孫と言われ、諏訪大社の大祝を務めていたというのも知りませんでした・・。慶長6年に社家と武家の分離を命じられて、分家が大祝家となり、諏訪氏は高島藩主として幕末まで続いたんですね。
お城は明治維新で取り壊されましたが、復元を願う市民の声が高まり昭和45年に天守が復元されました。
諏訪大社上社本宮の中に、諏訪頼忠公、頼水公、忠恒公を祀る高島神社もありました。25年前に来た時は気づいてなかったなぁ。高島城にも諏訪大社にも、梶葉紋がありました。
オフィシャル