住吉神社例大祭の幟柱はまた3年後
9/13(日)17時には祭りの様子がTVでオンエア‼️
楽しかった住吉神社の例大祭(佃祭)も終わってからはや1ヶ月が経ちました。
6月終わりに佃堀から掘り出された6組の大幟柱と抱木(だき:土台)は、祭りでの活躍のあとバラバラに解体、写真の様にしばらく掘りに浮かべられていました。
そして地上に出てちょうど2ヶ月、8月の終わりに再び埋め戻されています。
祭りを担っていた住吉講の皆さんにとって、本祭りはこの夏の全てといって過言ではなく、気持ちの入り方も尋常ではないそうです。
埋め戻し作業を通じて、その祭りへの気持ちになんとか折り合いをつけるのだ、と話されていました。
今回は、これから3年の眠りにつく柱と抱木の埋め戻しの様子と、その上にかかる佃小橋をご紹介します。
小橋を見かけた際には、堀を覗いたりしながら「祭りのあと」を少しでも感じていただけましたらうれしいです。
なお、例大祭の様子はMXテレビでドキュメンタリーとして放映される予定です。
こちらもぜひ。
詳細は最後に載せております。
佃島のアイコン・赤い欄干が目印の佃小橋
佃島に入ると、すぐに佃堀とそこにかかる佃小橋が目に入ります。
堀の最奥から橋を見ると、遠景にリバーシティのマンション群が置かれるお約束のフォトスポットとなります。
赤い欄干がいいアクセントですよね。
春には堀沿いの桜が綺麗な色合いを出してくれるので、その景色もオススメです。
左端にやや見切れていますが、銭湯「日の出湯」があります。
将棋の名作コミック「3月のライオン」では、小橋+銭湯の煙突でこの辺りが何度も登場し、ファンにとっては聖地となっています。
ちなみに「日の出湯」、湯がハンパなく熱いです。
「江戸っ子のあつ湯好きとはこれか!」って感じ。
お祭りの間、大幟が建ち屋台が連なる佃小橋の様子。奥には大又木(臨時の鳥居)も
例大祭中は橋の両脇に4本の大幟が聳え(写真では2本)、朝から神楽がかかり、神輿や人混みでごった返す「ハレ」の場そのものでした。
人で溢れてたり神輿がガッツリ入ったり、もっと他にも写真たくさんあるんですけど、幟が綺麗に見えてるものをあえて選んでます(言い訳)
追って「中央区本祭り総まとめ」記事を作るので、そちらでぜひ!
佃島が生まれた時から作られていた佃小橋
[簿冊]「江戸方角安見図鑑」(174-0062)、国立公文書館デジタルアーカイブ、https://www.digital.archives.go.jp/file/1231350(参照 2026-08-26)部分抜き出し(書込は筆者)
江戸時代初期、徳川家康との縁で大阪から移ってきた佃・大和田村の人々は、1644年(正保元年)に石川島近くの干潟を自分たちで埋め立てて作った『佃島』に移住しました。
停船時の波避けや荷揚げ場のために島の間に水路を作る必要があったと思われ、当初から佃島は上町・下町のある島と東町のある島の2島で構成されていたようです。
その二つの島を結ぶ橋が佃小橋で、島ができた当初からあったと言われています。
佃島の詳細がはっきり描かれた最初の地図「江戸方角安見図鑑」(1679年・延宝7年)にも橋がちゃんと記されており、以降どの地図にも佃島には「(住吉)神社」と「橋」が必ず載っています。
現在の赤い欄干を持つ佃小橋は1984年(昭和59年)に建て替えられたもの。
今年で42歳。まだまだヤングですね。
住吉神社の近く、知る人ぞ知るもう一つの小橋あり
住吉小橋から住吉神社(写真左手)方面を望む。大幟の左、木の後ろにある赤い大鳥居は隅田川を向いている。石川島灯台(復元)はちょうど写真の真後ろにあり
住吉神社がある佃島と人足寄場のあった石川島は、現在佃堀を挟んで地続きとなっています。
住吉神社の入り口から石川島灯台のある佃公園は小道で結ばれており、この道の佃堀を跨ぐ部分が「住吉小橋」と名打たれた橋となっています。
1997年にできた車も通らないこの小橋、実は非常に重要な橋なんです。
なぜなら、佃祭ではお神輿が船に乗って川を下り海で神事を行う「船渡御」という儀式があります。
その際、お神輿はこの橋を渡って神社から石川島灯台前の船着場へ行って船に乗り、そして船から降りて神社に戻ります。
「住吉小橋」はいわば「神様の通る道」とも言えるかと。
ありがたやありがたや。
今回の「船渡御」が終わって船から神輿が引き上げられ、ちょうど住吉小橋を渡って神社に戻るところをパチリ(右)。
リスペクト「安藤広重・名所江戸百景 佃しま住吉の祭」(左:復刻版・私物)です。
もう少し大幟が開いてくれたら完璧だったんですが、こればかりは風向き次第。仕方なし。
大幟柱と抱木の埋め戻し〜次回は2029年に
佃堀に浮かぶ6本の幟柱の尖頭。うち1本は水没しているため写真ではよく見えない
お祭り最終日の翌日には大幟が下げられ、深川八幡本祭りで神輿が水掛けで大騒ぎだったまさにそのタイミングで粛々と柱と抱木は分解されていました。
8月末まで掘りに浮かべられていたのは、ひび割れや腐食を防ぐためしっかり水分を浸透させる目的もあったのかもしれません。
浮かんでいた幟柱を見ると、意外に長さや形がバラバラですね。
どの柱が一番古いものなのかちょっと気になりました。今度島の古老に聞いてみようっと。奥の2本のうちのどちらかかな?
そして掘り出しとは逆に、埋め戻しは柱や抱木の部品を一つ一つクレーン車で持ち上げ、掘に戻していきます。
メンバー総出で砂をかけて埋め戻していきます。
この作業をやっていくことで、講のみなさんは佃祭に対しての気持ちや心を落ち着かせていくのだそうです。
準備が始まってから約3ヶ月、空いている時間は全て祭りに捧げた形とのこと。
その中で、きっと祭りへの気持ちはどんどん変わっていったと思います。
想像ですけれど、時間が経つにつれそれはより純粋なものになっていったのではないか。
その純粋な思いを、最後に労わりながら落ち着かせていく。
私にはこの作業が、とても神聖な手続きのように見えました。
3年ごとに、純粋な思いの精錬を繰り返し、繰り返し。江戸の昔から、繰り返し。
このお祭りがずっと続いてきた理由は、ここにあるのかな。
この夏、ずっとお祭りを追って撮った大量の写真を見ながら、ぼんやりと思いを馳せました。
夏が過ぎ、秋が始まります。
住吉神社例大祭ドキュメンタリーは9月13日(日)17時からMXテレビにて
MXテレビの「日本の祭り」という番組で、佃祭が取り上げられます。
祭りの期間中、スタッフの方がずーっと張り付いて頑張っていらっしゃったので、いいものができているのではないかと期待しています。
「あなたにとってお祭りとは?」
番組ではきっと聞くでしょう。
ともすれば陳腐な質問にも聞こえますが、なかなか本質的な質問だとも思います。
「このお祭りはなぜこんなに続くことができたのでしょうか」
その答えも番組を見て少しでもわかったらいいなぁと思っています。
放送は9月13日(日)17時からMXテレビです
https://s.mxtv.jp/variety/matsuri-tsukuda/
ぜひご覧ください。
佃小橋
東京都中央区佃1丁目8−1
住吉小橋
東京都中央区佃1丁目1−18
オフィシャル