建築散歩
面白かったな。東京建築祭2026。
特別公開。特別展示。
関連イベントがわんさかあって、期間中スケジュールの調整ができさえすれば、都内の建築群を多方面からじっくりと楽しむことができた。
港区三田の慶應義塾図書館旧館。
建築祭の人気探訪スポットの一つだ。
※ 慶応義塾大学内の写真は、東京建築祭の折に撮影させていただきました。
明治45年(1912年)慶応義塾が創立50周年記念事業として建てた建物である。
煉瓦造り、ゴシック様式の華麗な外観は、大学のシンボル的存在として親しまれてきた。
大正12年(1923年)9月の関東大震災。昭和20年(1945年)5月の東京大空襲では、大きな被害を受けた。
しかし、その都度改修工事が施された。
更に最新の免震化工事を経て、キャンパス建築の中でも高い人気を誇る、明るく美しい姿につながったのだ。
被災のたびに修復を重ね守られてきた建物は、昭和44年(1969年)国の重要文化財に指定された。
『若き血に 燃ゆる者 光輝満てる 我等』
建築祭の公開期間中、見学を希望する人が引きも切らず集まっていた。
時には、建物の角を回って北館近くにまで列がつながることもあった。
待ち時間が長くなったせいか、整理誘導していた方が、列に並ぶ人に「図書館旧館は、建築祭が終わった後の平日にも入館できますよ。」と案内していた。
「カフェは利用できますか。」
「平日は営業していますよ。」
図書館旧館2階には、『福澤諭吉記念 慶應義塾史展示館』が、令和3年(2021年)に開館した。
福澤諭吉の生涯や、塾の歴史に関する資料が公開されている。
建物中央階段の踊り場には、壮麗なステンドグラスが照らし出されている。
ペンを手にした女神を、白馬から降りた武士が迎えている。
『ペンは剣よりも強し』
図書館旧館の東側に、18.9mの八角塔が立つ。
入館者の目的の一つになっているのが、塔の1階にある『カフェ八角塔』
クラシカルな喫茶空間であり、ミュージアムショップも兼ねている。
ドリンク付きのランチセットやスイーツがお薦めだ。
カフェの雰囲気に惹かれて、三田に足を運ぶ人も多い。
八角塔を見ていると、私の中で、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズの表紙に描かれていた西洋塔の像と重なってくる。
記憶の中にだけ現れる映像。
大正ロマンの揺らめきを凝縮した雰囲気。日が落ちれば、窓に灯る明かりが、大正末期の気だるい華やかさを放つ。
煉瓦造りの塔を薄暗い闇が包む。その闇の隙間に、黒いマントをまとった怪人二十面相が身を潜めているのだ。
※ 東門から八角塔を望む。その坂が、キャンパス全体が三田山と呼ばれた丘の上にあることを物語っている。
日本推理小説の父といわれ、後に続く多くの人材を育成した「江戸川乱歩」、本名平井太郎は、引越し魔で生涯46回転居をした。
平井太郎は早稲田大学卒業で、移った住居も早稲田周辺が多い。
しかし、彼はきっと八角塔を直に見ているはずとの妙な想いが湧いてきた。
彼は、大変なメモ魔でもあり、詳細な転居記録も残している。
その中に「芝区車町八」の表記があった。
現在の港区高輪二丁目付近に当たる。
高輪から三田までなら、ひょいと散歩がてらに歩ける距離だ。
東京建築祭2026は、5月16日から24日まで開催された。
幾人かの特派員が、ブログに投稿し情報を発信している。
私も特別公開の日時に合わせ、何箇所か会場を訪れた。
建物をじっくり見ることで分かること、解説・案内を聴いて分かること、街を歩きながら感じて分かること。
時代を越えて受け継がれてきた建物や、最先端の建築技術まで身近に感じることができる企画であった。
その思いを文字に表してしまうことが少しもったいない気がして、ブログにまとめきれず日時が過ぎてしまった。
先日、三田に行く機会があり、手付かずだったブログを書いてみることにした。
「建築祭、面白いんだよ。足を運んでみると、発見があるよ。次回見に行こうね。」との思いを込めて。
パンフレットの左上に置いたのは、特別公開限定箇所で配布される「建築写真カード」
日本橋本石町にある「常盤小学校」である。
裏面にオーディオガイドやアンケートにつながる二次元コードが印刷されており、便利かつ集めて楽しいカードである。
建築祭期間中、一日だけ特別公開された『慶應義塾 三田演説館』
明治8年(1875年)に建てられた。内部は洋風であるが、外観は木造寄棟瓦葺なまこ壁の建物である。
昭和42年(1967年)国の重要文化財に指定された。
見学者は、代わるがわる演説壇に登壇して写真を撮っていた。
さて、三田からどのように中央区へ話題を持っていこうか。
慶應義塾発祥の地記念碑が立つ、中津藩中屋敷があった明石町。
福澤諭吉が提唱し結成された、日本初の実業家社交クラブである「交詢社」があった銀座。
壱万円札の肖像になった関係で、日本銀行が立つ日本橋本石町。
いろいろな結びつけ方はあるが、今回は建築の話題なので、慶應義塾図書館旧館の設計者である、曾禰達蔵(そね たつぞう)・中條精一郎(ちゅうじょう せいいちろう)につながりを求めたい。
明治屋京橋ビル
昭和8年(1933年)竣工の『明治屋京橋ビル』は、京橋二丁目に立つ。
地上8階・地下2階の鉄骨鉄筋コンクリート造りの堅牢な建物である。
1・2階は石造りの柱が通り、3階から6階は縦長の窓が並び、7階にはアーチ窓、そして8階。
1・2階、3から7階、8階とコーニス(軒蛇腹)で区分された3層になっている。
バランスよくルネサンス様式の装飾でまとめられている。
設計は、当時最大の民間建築設計組織とうたわれた、曽禰中條設計事務所が担当した。
曾禰達蔵は、東京大学工学部の前身の一つである「工部大学校」の第一期生である。
同期には、片山東熊、辰野金吾、佐立七次郎がいた。
明治10年(1877年)に来日し教授となったジョサイア・コンドルの薫陶を受けている。
中條精一郎は、東京帝国大学、ケンブリッジ大学で建築を学んだ。
明治41年(1908年)二人は共同で建築設計事務所を設立した。
この建物の地階は地下鉄駅と結ばれており、現存する地下鉄駅直結の日本最古のビルである。
東京メトロ銀座線「京橋駅」の7番出口がある。
このクラシックなたたずまいが、街の活気と品格を表わしているようだ。
地下へ降りる階段の先がどうなっているのか。ラビリンスが待ち構えているのか、はたまた・・。
想像がぞわっと体をくすぐる。
こんな魅力的な建物。
次回の建築祭には、特別公開していただけるとありがたい。
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