マニアックまちあるき~暗渠散歩(浜町川編)~
こんにちは。アクティブ特派員のHanes(ハネス)です。
外出自粛期間もあり、「マニアックまちあるき~暗渠散歩(竜閑川編)~」の更新から早3年が経ってしまいましたが、久しぶりに暗渠散歩をしてきました!
「マニアックまちあるき」シリーズでは、暗渠をメインにマニアックなまちあるきをご提案します。
さて、今回の舞台となるのは浜町川です!
浜町川は、神田川から箱崎川を経て隅田川(大川)に流れこむ掘割でした。
「でした」と過去形なのは、戦後に埋め立てが始まり、1972年には姿を消してしまったからです。
しかし、浜町川跡は歩道や浜町緑道として整備されていることもあり、川の面影を感じながらまちあるきを楽しむことができます。
下の地図では、浜町ICの北西と南東にのびる緑色の線で浜町川跡が一目で分かります!
今回は、中央区内における浜町川の北端であり、以前ご紹介した竜閑川との合流地点である中央区立龍閑児童遊園から下流(南東方向)に向かって歩きます。
中央区民歴が5年になった私ですが、龍閑児童遊園は5年目にしてまさかの初訪問!
区内にこのような場所があったのかととても新鮮な気持ちになり、これから歩く浜町川跡に対する期待が高まります。
遊園内には、ベンチや燈籠の他に、コンクリートの橋のようなものが見て取れます。
かつて浜町川に架かっていた竹森橋をイメージしているのでしょうか。
その橋のようなものの説明やかつての橋桁はありませんでしたが、敷地内の南端に鎮座する竹森神社の名前は、当時この辺りに竹森橋があったことを思わせます。
さて、この竹森神社ですが、五穀豊穣と商売繁盛にご利益があります。
江戸時代よりこの付近に竹藪が多く、竹につながる町、竹職人の町とも呼ばれていたことから、竹藪にちなんでそう名づけられました。
神体は伏見稲荷から勧請し、「江戸七森」*の一つに数えられるほど、江戸市中の数多い稲荷神社の中でも由緒ある神社とされています。
今春開催された「にほんばし福福めぐり」のスタンプラリーで、この神社を訪れたという方もいらっしゃるかもしれませんね。
*江戸七森:堀留の椙森(すぎのもり)、新橋の烏森(からすもり)、馬喰町の初音森(はつねもり)、柳原土手の柳森、向島のあずまの森、谷中の笹森(ささのもり)、小伝馬町の竹森
この遊園の北東側には、歩道となった浜町川跡(下の写真左上)があります。
現在は東京都下水道局が管理する閑静な道となっており、それを辿って中央区側(南東側)へ歩を進めます。
約80m歩くと江戸通りにぶつかり、何気なく自動車用の信号に視線を向けると、「鞍掛橋」と書かれた交差点標識(下の写真右上)が目に入ってきます。
実は、これもかつて浜町川に架かっていた橋の名前なんです!
当時はどのような風景が広がっていたのだろうかと考えながら横断歩道を渡り、「花の街かど くらかけばし」という看板のある花壇(下の写真左下)を横目に、ビルとビルの間に人知れず残された浜町川跡(下の写真右下)に戻ります。
左側に駐車場や新道問屋街の看板(下の写真左上)を見ながらこの細道を通り抜けると、横山町本通り/大伝馬本町通り(旧日光街道、下の写真2枚目)に出ます。
すぐ近くには、南北にみどり通り(下の写真3枚目)がのびています。
表記こそ異なるものの、こちらは浜町川に架かっていた「緑橋」の名残でしょうか。
この周辺にはアジア料理のお店が数軒立ち並び、現地を訪れた気分になる本場ならではの雰囲気が漂っています。
時代も国境も越えたような不思議な感覚に陥りながら、さらに細道(下の写真4枚目)を進みます。
浜町川跡に対しほぼ垂直にのびる何本もの通りによって歩道が途切れるたびに、横断歩道を渡って暗渠散歩を続けます(下の写真左、右上)。
路地裏ならではの地面の傾きや野草を心行くまで楽しめるのは、マニアックまちあるきならではの醍醐味。
現在の交差点標識や通り名に、江戸時代の切絵図に記されている汐見橋と千鳥橋の面影は確認できませんでしたが、警視庁久松警察署問屋橋交番(下の写真右下)には、関東大震災後に開通した「問屋橋」の名が残っています。
江戸時代の切絵図に見られる栄橋と高砂橋に関するスポットも見当たらず、久松町公民館と久松児童公園の1ブロック北で行き止まりに(下の写真上段)。
そこは12階建てのマンションの建設現場となっており、残念ながらわずかな隙間も通り抜け禁止でした。
迂回して久松児童公園(下の写真左下)を通り抜けると、右側に「小川橋の由来」の碑(下の写真右下)がたっています。
この小川橋も、かつて浜町川にかかっていた橋。
碑には、江戸時代に浜町川が大川(現・隅田川)に物資を輸送する際に重要な役割を担っていたという説明の他、明治19年(1886年)に日本初のピストル強盗犯を逮捕した小川巡査にちなんで小川橋と命名されたことが刻まれています。
事件の詳細については、先輩特派員rosemary seaさんの記事「小川橋の由来~小川橋跡~」をご覧ください。
久松町警察署前の横断歩道を渡り、日本橋消防署人形町出張所を過ぎると、浜町緑道(下の写真上段)が整備されています。
さまざまな木々や植物が植えられた緑の散歩道として地元の方々に利用されているほか、和田啓十郎先生の功績をたたえた「漢方醫學復興の地」の碑(下の写真左下)もあり、歴史探訪をしても興味深いエリア。
大島桜の木にはたくさんの実(下の写真右下)がなっており、雀や鳩の憩いの場でもあるようです。
甘酒横丁の先にも浜町緑道は続き、勧進帳の弁慶像に挨拶をしてから、新大橋通りまで一気に歩きます(下の写真上段)。
すると左手側に見える交差点標識には「浜町中ノ橋」の文字が(下の写真左下)!
ここでも、かつて浜町川にかかっていた橋(中の橋)の名前を確認することができました。
その後は、首都高の下にのびる浜町緑道(下の写真右下)を通って次の交差点まで。
所々に気になる石のオブジェがあったり、メキシコマンネングサ等珍しい植物が生えていたりと面白く、なおかつ歩道なので車や自転車の心配をせず安心して歩けます。
道すがら、砂浴び中のスズメに出会いました。
中央区内でこのような光景が見られるとは思っておらず、気づいたら写真撮影に興じていました。
せっかくなので1枚載せておきます(笑)
今回は、暗渠となった1km強の浜町川跡(中央区内)を歩いてみましたが、中央区だと言われなければ分からないような、緑と昭和らしい雰囲気に満ちたコースでした。
東京、それも中央区に居ながらにして、現代の都会から一瞬離れた体験を提供してくれる浜町川跡は、どこか不思議なベールに包まれています。
橋の面影は交差点標識や通り名等に残るのみとなりましたが、かつて川沿いに立ち並んでいたという料亭等、物理的に残っていないものをイメージしながら歩くのもまた楽しいものです。
今回は暗渠周辺の飲食店情報までカバーできませんでしたが、次回散策する際には、浜町川があったころから営業しているような歴史あるお店を探してみたいと思います。
※本記事の情報・写真は、2022年5月15日時点のものです。
浜町川跡の一部はマンションの建設現場となっているため、今後景観が変わることが予想されます。
暗渠散歩の際には、周辺にお住いの方のご迷惑にならないようご注意ください。