歯痛に霊験あり。日比谷稲荷と汐見地蔵尊
昔から歯痛、虫歯に悩む人は多いものです。そんなときの神頼み、中央区内の歯痛の神様を2社紹介します。八丁堀の亀島川たもとにある日比谷稲荷と湊の隅田川たもとにある汐見地蔵尊です。
西新橋にある日比谷神社=鯖稲荷の分社
八丁堀の日比谷稲荷は、太田道灌が江戸城を築いたときに、まだ入江だった日比谷の地に創建されたということです。日比谷の海岸にあった頃は旅泊(さばと読むらしいです)明神とも称されて旅人に社務所を開放して手厚いもてなしをしたと伝えられています。また疫病がはやったときは「鯖断ち」という祈願をして平癒におおいに霊験があったそうです。のちに江戸城の拡張改築で新橋のほうに移転し、近年はマッカーサー道路の建設で今の地に移転しました。
こちらは西新橋の日比谷神社。
幟にも鯖をあしらった印
新橋に移転のおり、崇敬者の願いで八丁堀の地に分社されました。このあたりの旧町名も日比谷町です。さて、いつしかさばの字が「旅泊」から「鯖」となり、虫歯封じの神様として信仰されるようになり、鯖断ちして治った後には鯖を奉納していたそうですが、今は幟に鯖をあしらった印のみが当時を偲ばせるばかりとなっています。
明治に隅田川から引きあげた石像を祭る汐見地蔵尊
汐見地蔵尊は中央区湊、隅田川沿いにある地蔵尊です。明治時代に川の中から「水から出たい」という声が聞こえるということで、川底を浚ったところ1体の石像とたくさんの人骨、歯牙・歯骨があがってきたそうです。そこで人骨は両国の回向院に埋葬し、石像と歯はここに祠を建て供養されることとなり今に至っています。
歯が引き上げられたからでしょうか。歯痛に悩む人が祠の前の塩を持ち帰って口をそそぐと痛みが取れたそうで、お礼に塩や楊枝を供する習わしだそうです。今でも塩が置いてありました。
由来文には江戸時代の永代橋の落橋や地震、疫病などの災害があったことが記され、人骨や歯はその犠牲者のものではないかということをにおわせています。ちょっと怖い由来ではありますが、今は平和に流れる隅田川もいろいろな歴史があったことを考えさせられます。
ということで歯の神様の紹介でした。今みたいに口腔ケアもない時代、虫歯に悩んだ昔の人は大変だったろうなぁと思います。私も区の無料歯科検診に行っておこうと思います。