にゃんボク

夏目漱石氏と塩原温泉

 歴史のある温泉地、或は老舗旅館などにおいて「文人墨客(ぼっかく)に愛された」といったことをその街を宣伝する記述として目にすることがあります。昔の芸術家が湯治を兼ねて宿や温泉に長期間滞在して小説を書いたり、絵を描いていたことが伺い知れます。


「なんと羨ましい・・・。一体その期間の生活費やお代はどうしたんだろう、スポンサーがいたのだろうか。」などと思いを巡らせることも少なくないのですが、よく思い返してみるに、”仕事で観光地を訪れると、その土地の良さが目に半分も映らなくなる”私のような人間は、本来は心落ち着くはずの温泉地であってもせわしないものに感じられてしまうかもしれないと思ったりします。そうすると、「やはり仕事以外で訪れたい」と思い直すのです。


さて、栃木の塩原温泉郷も名だたる文豪が訪れたことで有名です。夏目漱石氏もそのうちの一人。「坊っちゃん」の愛媛・道後温泉、「草枕」の熊本・小天(おあま)温泉、「明暗」の神奈川・湯河原温泉など、作品の中でも色々と取り上げていることから漱石の温泉好きは中でも随一だったのかもしれませんね。


先日、栃木県の塩原温泉郷にて「来塩」した漱石に関する記念碑や記述を目にしました。

・東京朝日新聞に入社し、職業作家となったのは1907年。
・大正元年(1912年)塩原を訪れる。8月17日から23日までの六泊七日の旅。
 よく目にする漱石の写真(冒頭の写真)はこのころに撮られた模様。腕に喪章あり。(44歳ごろと推察)
・年を重ねるごとに病気がちとなり、肺結核、トラホーム、神経衰弱、痔、糖尿病、胃潰瘍と多数の病気を抱える (塩原宿泊の日記においても、胃の不調を記載)

絵を観ることも描くことも大好きな漱石

絵を観ることも描くことも大好きな漱石 夏目漱石氏と塩原温泉

 また個人的に貴重と思ったのは、漱石の「絵日記の数々」です。「英国留学時代」の寂しさをうたった絵日記も有名ですが、それ以外にもバラエティに富んだものを書いていたんですね。

朝日新聞に入社する前の明治38年ごろ、漱石は盛んに絵葉書を作成しては門下生、友人、家族に送っていたとのことです。非常にナイーブな人物でむつかしいとみられることも多い漱石ですが、このような一面も持ち合わせていたとのことです。(ただ、これは個人的には、明治43年の修善寺での大吐血の前後でも(小説の文体同様)変わってくるのではないかと思っています。)

写真がぼやけていますが、ちょっと絵葉書をアップ・・・

写真がぼやけていますが、ちょっと絵葉書をアップ・・・ 夏目漱石氏と塩原温泉

これらは、塩原温泉にある「塩原もの語り館」にて見学可能です。(写真撮影等も可能)

中央区とのかかわりでは、谷崎潤一郎氏も「来塩」の記録・歌碑が残っています。こちらはまたの機会に。