Hanes

マニアックまちあるき~暗渠散歩(八丁堀編)~


こんにちは。アクティブ特派員のHanes(ハネス)です。
在宅勤務続きによる運動不足を解消すべく、5月ぶりに暗渠散歩に出かけました。

今回歩いたのは、新富~八丁堀~入船~湊エリアに残る八丁堀跡(桜川跡)
八丁堀は江戸時代初期に開削された掘割で、京橋川の下流から隅田川へと流れ込む通船のための水路でした。
その長さが八丁(約872メートル)であったことから八丁堀と命名され、明治時代に桜川と改称、昭和40年代に埋め立てられています。

 マニアックまちあるき~暗渠散歩(八丁堀編)~

中央区立桜川公園内にある「八丁堀(桜川)跡」の案内板


案内板にもある通り、関東大震災後の復興事業を経て新桜橋桜橋中ノ橋八丁堀橋稲荷橋が架けられました。
今回は八丁堀(桜川)跡を歩くことで、今日まで残るそれらの橋の名残を探してみました。

まずは西側から攻めるべく弾正橋付近から鍛冶橋通りを東に進むも、「新桜橋」を含む表記は見当たりません。
しかし、その次の「桜橋」は橋こそ物理的に残っていないものの、交差点名標識に採用されていました!

 マニアックまちあるき~暗渠散歩(八丁堀編)~

横断歩道を渡り終えてから振り返って撮影


この交差点から平成通り沿いに少し南に進むと、東京都下水道局桜橋ポンプ所、コロナ禍できれいに整備された桜橋南東児童遊園桜橋南西児童遊園があり、桜橋の名は意外と残っていることが分かりました。
さらに湊には、桜橋第二ポンプ所があります。

余談ですが、植物に隠れ気味だった桜橋南西児童遊園の記念碑がこの整備でよく見えるようになりました。
昭和17年に新富町会によって建てられた戦争に関するものでしょうか?
刻まれている文字は、「挻身荅國恩(身を挺して國恩に荅える)」?
機会がありましたら新富町会の方にお伺いしてみたいと思います。

 マニアックまちあるき~暗渠散歩(八丁堀編)~


さて話を戻しまして、鍛冶橋通りを八丁堀の交差点まで進み右側に折れて桜川公園の方向へ歩を進めると、八丁堀駅のA2出入口のそばに駐輪場が主とみられる「中ノ橋北東児童遊園」が見えてきます。
何気ない一角ですが、こうして橋の名前が残っていることは感慨深いですね。

 マニアックまちあるき~暗渠散歩(八丁堀編)~


さらに、急いでいると見落としそうではありますが、新大橋通り沿い(東側)には「なかのはし」とひらがな表記の標石が設置されています。

 マニアックまちあるき~暗渠散歩(八丁堀編)~


この後中央区立桜川公園に立ち寄り、案内板で当時の川の位置を確認。
生きた八丁堀橋の名前を探すべく居留地中央通り沿いを散策するも、それらしきものは見つかりませんでした。

 マニアックまちあるき~暗渠散歩(八丁堀編)~


しかし、ブーケ21の東側にある鉄砲洲通り沿いには、稲荷橋の標石が道路の両脇に設置されていました。
橋名板に漢字とひらがな表記がある理由、ひらがな表記の際に「○○はし」と濁点のつかないものがある理由については、後日詳しくご紹介する予定です。

 マニアックまちあるき~暗渠散歩(八丁堀編)~


1キロメートルもない短い暗渠散歩でしたが、分かったことは、約100年前に架けられた5橋のうち3橋の名称が令和の今でも街中に残されているということです。
前回の浜町川編の時もそうであったように、交差点名標識や国・都が管理する施設や建物には橋の名前が採用される傾向にあるようです。
では、次に歩きに行く暗渠でも同じことが言えるのでしょうか?
本シリーズの次回をお楽しみに!

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