野村、日本橋本店業務を移転
4月3日の日経速報ニュースは、「野村、日本橋本店業務を豊洲に移転 5月にも」と題して「野村ホールディングス(8604)は3日、日本橋地区の再開発事業に伴い、同社と傘下の野村証券の日本橋本店の業務を豊洲に移転すると発表した。5月7日以降、順次移転する。本店所在地は日本橋地域に残る。野村HDではこれまで、本社が日本橋と大手町の2拠点あったが、今回の移転を機に本社は大手町に一本化する。」と報じていますね。
私は、かつて、以下のように、サイデンステッカー氏、矢田前中央区長の言を紹介いたしましたが、中央区内から、また一つ、代表的企業の本社機能が出ていくことになります。 上のニュースによると、5月に豊洲へ移転するのは、日本橋地区の再開発事業に伴うものですし、本店所在地は日本橋地域に残るようですが、本社機能は大手町に一本化されるようで、寂しい思いがします。
https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/archive/2017/09/index_13.html
サイデンステッカーは次のように述べている。
「日本橋は今日でも東京の、さらには日本全体の金融の中心と呼べるかもしれない。日本銀行も証券取引所も日本橋にある。けれども大企業は、ほとんど日本橋からほかの土地に出ていった。三井銀行や第一国立銀行も...本店はもう日本橋にはない」(『東京下町山の手』)
矢田中央区長は、「日本橋から大企業の本社機能の転出が始まったのは昭和50年代前半のことである。流通機構の変化が叫ばれ、日本橋に集積していたさまざまな問屋に陰りが感じられるようになったのは50年代後半である。・・・・そして平成10年以降には、バブル経済の崩壊や金融再編の流れの中で日本銀行の周辺から地方銀行など金融機関が消えていった。・・・・・・このような変遷と・・・変化によって、いつのころか誰言うともなく『日本橋の地盤沈下』がささやかれるようになったのである」(「日本橋ルネッサンス」2007年)と述べている。