日本橋通旅籠町の守護神「池州稲荷神社」
日本橋堀留町に鎮座の池州稲荷神社は東京名所図絵によれば「池州稲荷神社は二十二番地に在り。旧別当を延寿院といふ。往昔小田原より移せし池州屋敷ありしに因り此名ありといふ。池州は即ち生簀にて、魚を飼い置く所の称なり。」創建年代等は不祥ですが、池州屋敷の池沼から出現した稲荷で日本橋通旅籠町の守護神として崇敬されてきたといいます。御祭神は倉稲魂命で商売繁盛・五穀豊穣に御利益があるそうです。
通旅籠町といえば現在タキトミビルの建っているところにあったのがデパートの大丸です。「え!大丸がここに?」と驚かれる方が多いのですが、大丸屋呉服店は下村彦右衛門が享保2年(1717)京都で大文字屋呉服店を創業したのが始まり、寛保3年(1743)に江戸大伝馬町3丁目に江戸店大丸屋を。進出時期は遅かったのですが、「地元密着型の商法に徹し、芝居の舞台幕を数多く贈ったり、祭りともなれば山車を賛助し、店内に金屏風を引き回して客にお茶や弁当を供するなど「京呉服」の看板を背負いつつも下町の御店らしく振る舞い・・」(「読んで歩いて日本橋」白石孝)三井越後屋や白木屋と覇を競う一千坪の大店となりました。日光街道は江戸時代のメインストリートでしたが、1904年に現江戸通りに市電が開通し繁栄が江戸通りに移っていき、大丸は明治43年に関西に撤退、昭和29年(1954)東京駅八重洲口に戻ってきます。こちらが皆様よくご存知の大丸です。
「旧聞日本橋」で知られる長谷川時雨の生家は通油町1番地で大丸の店の斜め向かい側だったそうです。「大丸はその当時の日本橋文化・繁盛地の中心で通油町の向こう側の角、大門通りを中にはさんで四つ辻に毅然と聳えていた」と書いています。
明治時代の大丸です。
池州稲荷神社 日本橋堀留町 2-4
タキトミビル 日本橋大伝馬町10-8