なんと銀座に番外地がある(前編)

キャッチーなタイトル付けてみました。
知っている方は、なんだその話か、と思うでしょう。
有料のサイトを含め、たくさんのWEBサイトに記事が掲載されているので、二番煎じ感は否めません。
ただこの特派員ブログのネタになっていなかったし、一般の方は知らない人が9割9分だと思うのでご紹介します。
きっと、ながながと蘊蓄を書いても読んでもらえないので、前編と後編に分けます
で、今回の前編の結論を先に。
かつて銀座は四方を川に囲まれていた(恐らく)優美な土地でした。
が、太平洋戦争の瓦礫処理で全部埋められちゃいました、残念!
っていうお話です。
前回の私の記事「15年後、日本橋から空が見える!」で、
「・・・復興の瓦礫処理のため銀座を流れていた三十間堀や外堀を埋め・・・」という記載をしました
この「外堀を埋め」が今回ネタの伏線になってます。
前置きが長いな。では本題
まずはこちらの銀座の地図をご覧ください。
※画像加工スキルがなく、Googleマップにエクセルでオブジェクトを貼った適当なやつですがご容赦の程。

ご覧のとおり銀座は四方を川に囲まれていた土地だった、ってことが一目両全ですね
ブログなので文章でも説明していきます。
まず「外堀」とはどこ?
まあ都内に住んでいる方であれば「外堀通り」の「外堀」じゃね?と連想するでしょう。
上記画像の赤線の部分です。わかりやすいように「外堀」って書きました。
はい、そうです。東京つい157年前(2025年時点)まで江戸でした。
外堀は文字通り江戸城の「外堀」です。
少し中央区から外れますが、お聞きを。
今でも飯田橋駅から市ヶ谷駅あたり、赤坂見附あたり、そして水道橋駅のちょい西側から分岐している日本橋川が該当し、水がある堀として残ってます。
銀座線の「溜池山王」駅がありますが、「溜池」も外堀の一部でした。
じゃ山王ってなんだ?
「日枝神社」のことです。
ちょい脱線しますが中央区がらみで茅場町に日枝神社の摂社(支店)があります。
はい次です。
埋められたのは「外堀」だけではありません。
銀座の下の方、博品館がある近くに、肉のハナマサやドンキホーテがあります。
訪問すると、いつも大陸系の爆買い外国人観光客がたくさんいらっしゃいます。
その場所、リアル「新橋」です!
タイトル写真にしているところで、親柱も一本残ってます。
橋ってことは、この場所かつて「汐留川」が流れてました。そこも瓦礫処理で埋められました。
先ほどの画像の下部、オレンジの線の部分です。
夕方のニュースでザ・サラリーマンにインタビューする新橋駅前のSL広場。
山手線の駅でもある新橋って、現代だと地名や駅名とでしか認識されていないですよね。
リアル「新橋」は新橋駅から少し離れたドンキホーテの所にあります。
そして「新橋」とは反対に銀座の上の方、京橋駅手前にリアル「京橋」があります。
画像上部の緑の線の部分です。

とんがり帽子の大きな親柱が一本、そしてその頭の屋根をそっくりに作られた交番が特徴的。
この大きな親柱に架け変わる前、擬宝珠がついた石の親柱も付近に地味に保存されてます。

この場所には「京橋川」が流れてました。
同様埋められて、水が流れてません。
最後。三十間堀川のお話です
晴海通りと昭和通りが交わる、「三原橋」交差点があります。
目の前には歌舞伎座があるところです。その場所、実際は三原橋ではありません。
本当の三原橋はそこから銀座側に二本目の道路の位置に流れていた「三十間堀川」に架かる橋の名前です。
三十間とはつまり55メートルも幅がある堀川でした。画像のブルーの部分です。
その跡地の道路、晴海通りにまっすぐにつながらず、悪人を捕まえる「刺股(さすまた)」みたいになっているので、ちょっと特徴的。かつて地下街があった名残のようです。
今回、銀座は四方を川に囲まれていた土地だったが、瓦礫処理で全部埋められてしまった、っていうお話。
だいぶ長いので、一旦今回はここまで!
次回住所がない場所について解説します