人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社 ⑬
~ 福田稲荷神社 ~
『ギフト、そして自分も楽しむ』をフランクに取材します、rosemary sea です。
『人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社』シリーズ、今回は第13回、福田稲荷神社(ふくだいなりじんじゃ)をご紹介します。
それでは・・・
御由緒
昔、現在の神田明神のお山から南へなだらかな山裾が続き、そのすぐ向こうは海でありました。
その山裾一円を武蔵国南豊島郡(むさしのくにみなみとしまぐん)福田村と呼んでおりました。
福田村は神田山をきり崩して平らな土地を作り、土着の人々は米作りを致しておりました。
今に残る福田町、豊島町は当時の名残りでございます。(※ 千代田区の地名:福田町は「神田西福田町」として残っていますが、豊島町は残っていません。)
和銅年間と申しますと平城京が造られたり、和同開珎(わどうかいちん・わどうかいほう)として名高い武州足尾銅山の銅を献じて我が国初の貨幣が鋳られたのもこの頃で、およそ1300年程前のことであります。
古事記によりますと、和銅2年に初めて京都稲荷山に伏見稲荷大明神が勧請致されました。
それから2年後和銅4年(711年)に伏見より分社して福田村に鎮座したのがそもそも福田稲荷神社の縁起であります。
稲荷神社には御承知の通り、伏見系と豊川系がございます。
伏見は神道、豊川は仏道でございますので、福田神社は純然たる伏見系に属する神道でございます。
当時、福田村付近の人々は五穀豊穣(ごこくほうじょう)の守護神として崇敬し、この社を中心にして日夜平和な生活が続いたものと存じます。
現在に至り日本橋、神田の人々が永く平和を保つことの出来ますのも偏に霊験あらたかなる福田稲荷の御守護の賜物と存じます。
福田稲荷神社は中央区と千代田区の境にあります。
この先は千代田区神田美倉町です。
近くの地蔵橋公園には・・・
竜閑川(りゅうかんがわ)埋立記念の立て札があります。
この立て札の裏側には『由来』が書かれています。・・・
竜閑川の由来と埋立
江戸砂子や新編江戸志には270余年前の天和年間に防災のために堀ったもので、神田橋と常盤橋の間から、外濠の水を東方にあった浜町川に注ぐ。
その両岸は石垣でたたみ、川幅6間、神田堀と呼んだ。
元禄4年(1691年)にも掘った。
安政4年(1857年)4月、土手を崩して堀を入り口の竜閑橋だけ残して埋めたが、明治16年(1883年)再び掘って防火用・雨水用とした。
川名を竜閑川と名づけた。
昔時、この川の西端に住んでいた井上竜閑は、江戸城つとめの殿中接待役「お城坊主」として有名であった。
後、その所を竜閑町といった。
当時、神田堀の別名に、八丁堀、火除堀(ひよけぼり)、銀堀(しろがねぼり)等といわれ、堀の堤を八丁堤といって松を並木に植えた時代もあった。
川には舟の往来もあったが、近頃下水より汚水流れ込み、悪臭を発散し、ごみを捨てるため、蚊・蝿等わき、衛生上宜しくなく、川は全く無用のものとなった。
東京都は第2次世界大戦直後、川底に大下水管を埋没して戦災焼残土をもって埋立て、宅地をつくり復興を促進する計画をした。
神田及び日本橋より選ばれたる連合委員会は賛意を表し、将来を推察して新埋立地を土地現住の人々に払い下げたき件を申請し、中間に立ちてその労をとる事を願い出た。
昭和25年(1950年)3月、埋立工事竣工し、この大事業を滞りなく完成した。
今回もと竜閑川のあった中央地点、地蔵橋際児童公園の東北隅を選び、東京都の御承認を得て竜閑川埋立記念碑を建立したのであります。
この埋立は実に千代田、中央両区の握手であって、神田、日本橋区民の親和を増進するもの。
昔は川、今は竜閑新道を中心に精勤努力もって土地の発展に尽くされん事を。
昭和30年(1955年)6月吉日
※ 当時の都知事は安井誠一郎氏でした。
今回もまた、古典落語をご披露させていただきます。
第6回になりました。
3回連続になりますが、今回もロズマリ大親友・Wさんのリクエストです。
「中村仲蔵(なかむらなかぞう)」です。
古典落語もそうですが、講談でもとても魅力的な演目です。
日本橋界隈にはその昔、中村座・市村座・森田座の三座がありました。
中村仲蔵は実在の人物、お上承認のこの江戸三座の名題(なだい)役者、いわゆる役者の頂点まで上り詰めたのですが、・・・。
ちなみに中村仲蔵、一時役者を廃業し、人形町で酒屋を経営していたこともあったようです。
それでは・・・
「中村仲蔵」
名題になったのに、中村仲蔵についた役は忠臣蔵5段目の斧定九郎(おのさだくろう)の一役、その役もあまりいい役ではありません。
しかし芸熱心な仲蔵、家老職の息子の定九郎が山賊姿の出で立ち、というのに疑問を持つが、工夫したいのに案が浮かばない。
そこで柳島の妙見様に願掛け、その満願の日、夕立に遭い蕎麦屋で雨宿り。
そこへ「許せ」と入ってきた浪人風、年の頃三十二、三。
背が高く、色白細見のいい男だが、月代(さかやき)が伸びている。
黒羽二重(くろはぶたえ)の紋付に茶献上の帯、大小を落とし差しにして腰に雪駄(せった)を挟み、破れた蛇の目傘も放り出す。
月代や着物の雫を払っている。
仲蔵は「これだ」と思い、さっそく帰って定九郎の衣裳身なりを変えてこしらえました。
いよいよ明日が初日という前の晩、仲蔵は女房に「もし定九郎の役がうまくいかなかったら、江戸を出て修行をし直す。」と打ち明けます。
初日、工夫した衣裳姿に、出番前に手桶で頭から水をかけ、水をしたたらせながら舞台へ駆け込む。
場内、水を打ったような静けさに。
やり損なったと感じた仲蔵、家に帰って旅支度、一人表へ出る。
すれ違う人の会話を漏れ聞く。
「どうだい、今日の定九郎・・・」「凄い役者が出たもんだ・・・」「あれを見なきゃ江戸っ子の恥だ・・・」と。
思い直して家へ戻る。そこに師匠の中村伝九郎から使者が。
師匠を訪ねると「仲蔵、お前の定九郎は後の世の手本になる。この煙草(たばこ)入れをやるよ。」
家に着いて女房に手を合わせると「いやだよ、拝んだりして。けむに巻かれたようですよ。」
仲蔵、「もらったのが煙草入れだ。」
福田稲荷神社
日本橋本町4-5-13
東京メトロ日比谷線・都営浅草線 人形町駅より徒歩15分
東京メトロ日比谷線 小伝馬町駅より7分
JR総武線 新日本橋駅より徒歩7分
人形町駅 A4出口の人形町交差点方面を出て人形町通りを右、車の一方通行方向へ進む
小伝馬町交差点(ここが小伝馬町駅)を左へ、江戸通りを進む
昭和通りを渡り右折
本銀(ほんしろがね)通りを渡ったところ、本町交番の左隣りの「中央区立地蔵橋公園」を抜けて左折、約20m先左側