人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社 ⑰
~ 橘神社 ~
『ギフト、そして自分も楽しむ』をレジェンダリーに取材します、rosemary sea です。
「人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社」シリーズ、第17回の今回は、橘神社(たちばなじんじゃ)をご紹介します。
植物名の神社シリーズとしましては、第4弾となります。
実はこの神社、ロズマリの勤務先と同じ区画にあり、日に何度も通りかかるところなのです。
つまり、『勤務先の守り神』なのです。
それでは・・・
御由緒
このあたり、江戸期には新和泉町といわれたが、将軍家御典医・岡本玄冶(おかもと げんや)の邸があったことから、一帯を玄冶店(げんやだな)俗称した。
当稲荷ははじめ、御殿山にあったものが、のちに江戸城内へ移り、さらに玄冶に賜って当地へ移された。
稲荷名の「橘」は、岡本家の姓に因んだとされる。
安政6年(1859年)の尾張屋清七板古地図では、現在地よりやや北側に記されている。
数百年に亘り、素朴な信仰の対象として、土地の人々により守り継がれてきた。
特定の個人や企業の所有ではなく、「町のお稲荷さん」として親しまれている。
大正以降、運よく震災・戦災を免れてきたが、老朽化のため、平成2年(1990年)地元町民多数の浄財により再建された。
ロズマリが人形町のこの地に赴任しましたのは、今から1年とちょっと前。
ですが、この神社のことは以前より知っておりました。
塀に囲まれ護られた、静かな佇まいの神社。
人形町のイメージにぴったりです。
夕暮れの、灯のついたこのアングルが、ロズマリは一番好きです。
今回も江戸古典落語、ご紹介します。数えて第10回となりました。
ロズマリは人形町での勤務歴2年目ですが、少し延ばしまして「3年目」という落語をつながりとして、今回ご紹介させていただきます。
<事前確認コーナー>
昔は、ご臨終の際に、髪剃りをされたそうです。
これは仏門に入るのに髪を下ろす「剃髪の儀式」になぞられてのことだそうです。
故人を仏弟子として彼岸へ送ろうという想いを籠めて、納棺の前に家族や親戚が、念仏を唱えながらひと剃りずつ当てて丸坊主に。
幽霊になっても、ある程度時が経たないと、黒髪を振り乱すことはできず恥ずかしいようです。
それでは・・・
「三年目」
若い旦那とおかみさん、とても仲の良い夫婦。なのにおかみさんが患い、もう長くは持たない、と言われてしまいました。
臨終の床でおかみさん、旦那に向かい、「いずれあなたは後添えをもらい、きっと優しくするのでしょうね。それが気がかり、心残りです。」と。
旦那は「後添えをもらうつもりはない。しかしそうなれば婚礼の晩に幽霊になって出ておいで。たいていの嫁は里へ帰る。」
「それでは八ッの鐘を合図に出て参ります。」、そう言い残し、おかみさんはあの世へ旅立ちました。
四十九日を過ぎると、旦那も親戚筋の話を断りきれずに再婚します。
ですが、婚礼の晩、約束の八ッの鐘を過ぎても、おかみさんの幽霊は出ません。それからも出ません。
先妻のことはすっかり忘れ、子も生まれ、幸せな日々を送って三回忌の夜、八ッの鐘の音とともに、黒髪を乱した幽霊が、・・・。
旦那「今頃出てきて恨み言を言われても困る。」と。
幽霊「今まで無理でした、出るに出られなくて、頭を剃ったでしょ? 髪が伸びるまで待っておりました。」・・・。
橘神社
日本橋人形町3-8-6
東京メトロ日比谷線・都営浅草線 人形町駅 A4出口の久松警察署・明治座さん側(人形町交差点側ではありません)を出て左、すぐ。