人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社 ⑲
~ 白旗稲荷神社 ~
『ギフト、そして自分も楽しむ』をキャッチフレーズとして取材します、rosemary sea です。
「人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社」シリーズ、第19回の今回は、白旗稲荷神社(しらはたいなりじんじゃ)をご紹介します。
それでは・・・
御由緒
抑々(そもそも)白旗稲荷神社は、東京府武蔵国(旧日本橋区本銀町【ほんしろがねちょう】1丁目18番地)官有地白旗橋詰にあり。
御祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、古来「白旗稲荷」と称す。
享保3年(1713年)当山派修験大寿院元明別当職たりし以来神勤す八世小野秀麿に至り、明治6年(1873年)神勤を免ぜられ、神田神社兼勤社となる。
鎮座年代不詳なれども社伝によれば、源義家、奥州下向の途次、社頭に白旗を立てしに始まるという。
また、新編江戸誌に、三宝院派別当大寿院、和銅4年(711年)鎮座とあり。
何れか詳(つまび)らかならずといえども本区最古のものなるべきか。
往時武蔵国福田村の一部にして江戸開府の頃には、神田は八丁堀すなわち龍閑川(竜閑川:りゅうかんがわ)界として以南を「江戸」とし、「以西」を神田とせり。
町名は江戸時代に銀工の多数居住せしにより起れりという。
当社は大正12年(1923年)大震火災の際、烏有に帰したる(うゆうにきしたる:火災で全てなくなる)も、幸い御神体を奉避し、以来区画整理にて当町6番地へ換地指定、町会員並びに建築委員の努力により再建の準備を整え、昭和4年(1929年)建築に着手す。
昭和5年(1930年)完成、同時に大祭礼を行う。
昭和49年(1974年)、東北・上越新幹線東京乗り入れのための用地買収に応じ、現在地(本石町【ほんごくちょう】4-5-16)に移転、現在に至る。
御由緒にもありましたとおり、源義家が奥州下向、つまり奥州討伐の出陣に際し、白旗を立てたのに始まる、と伝えられています。
7月22日ご紹介の「人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社」⑬ 福田稲荷神社も、ともに福田村の守護神・鎮守社として祀られた神社ですね。
江戸時代後期、「狂歌江都名所図会(きょうかえどめいしょずえ)」に歌が残っています。
鳥居こそ 赤く色どれ 平家かた 宮は源氏の 白旗稲荷
玉垣の 朱い平家に 見ゆれども 源しるし しら旗稲荷
今回もまた江戸古典落語をご披露させていただきます。
第11回になりました。
「白旗」と「四神剣(しじんけん)」、旗つながりで今回は「百川(ももかわ)」です。
ロズマリイチオシの、日本橋に最もふさわしい噺です。
また、「方言」と「勘違い」をうまく扱った秀逸の噺でもあります。
<事前確認コーナー>
○ 浮世小路(うきよしょうじ)の百川
「浮世小路」は現在の日本橋室町にあった通り。
浮世風呂があったことと、加賀の言い方で「しょうじ」と読ませたことで名付けられた、奥に「福徳神社」のある通り。(位置関係は現在とは多少のずれがあるようです。)
ここに「百川」という料理屋がありました。
実際、幕末にペリーが浦賀に来航した際、横浜まで出張して一行を料理でもてなした、という記録が残っています。
山東京伝などの文人も集まる、江戸を代表する名店でしたが、明治の初めに忽然と消滅したお店、謎が多いお店です。
この噺も、百川のPRのために作られたお話、と言われています。
※ 下の画像をご覧ください。
※ 「百川」につきましては2016年3月15日のこのブログ、中央小太郎さんの『高級料亭「百川」と落語「百川」』をご覧ください。
※ ペリー来航時の百川のメニューにつきましては、2017年3月9日のこのブログ、ロズマリの「神茂さんの歴史について語ります②」にて述べています。
○ 葭町(よしちょう)の口入屋(くちいれや)、千束屋(ちづかや)
「葭町」は現在の日本橋人形町、「口入屋」は奉公人などを紹介する業者、桂庵(けいあん)とも言います。
「千束屋」は落語「甲府い」「引越しの夢」「化け物の使い」にも登場します。
○ 四神剣
東の青龍(せいりゅう)・南の朱雀(すざく)・西の白虎(びゃっこ)・北の玄武(げんぶ)を描いた剣型の旗竿。
祭りの道具です。
各町で順に預かり、なくなると大変なことになったようです。
○ くわい
オモダカ科の水中多年草、野菜・根菜。
実から芽が伸びる形から、目出たい縁起物とされ、おせち料理やお祝いの席に親しまれていますね。
○ 長谷川町の三光新道(さんこうじんみち)
「長谷川町」は現在の日本橋堀留町。
「三光新道」は4月3日ご紹介の、「人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社」の①に相当します、三光稲荷神社が、奥にあります参道です。
※ 上の画像をご覧ください。
「百川」
葭町の口入屋、千束屋の紹介で、日本橋・浮世小路の百川に奉公することになりました、信州なまりの百兵衛(ひゃくべえ)さん。
「2階に魚河岸のお客さんのご用を聞いてきておくれ」と言いつかりました。
百兵衛さんが「わしゃ、主人家の抱え人でごぜぇやす」と挨拶したのを「四神剣の掛け合い人」と、お客は早吞み込み。
去年の祭りの後、金を使いすぎ、祭具の四神剣を質に入れてしまい、そのままになっていることを隣町から掛け合いにきた、と勘違いされた百兵衛さん、具合(事情)を呑み込んでくれ、と言われ、出ていた料理の「くわい」のきんとんを丸吞みしてしまい、目を白黒の状態で1階へ。
また2階でお呼びがかかり、やっと店の奉公人とわかってもらい、今度は長谷川町の三光新道へ、常磐津の師匠・歌女文字(かめもじ)を呼んでくるよう申しつけられます。
途中で名前を忘れた百兵衛さん、「“か”の字が付く有名人」を尋ね歩き、鴨地玄林(かもじげんりん)という外科医の家を教えられます。
また信州なまりで「河岸の若い方が、今朝(けさ)がけに4,5人来(き)られやして、先生にちょっくらおいでを願えてちゅうですが」と。
これを聞き違えられ「袈裟懸けに4、5人斬られた」と誤解されます。
先生は喧嘩と思い、手遅れになるといけないから、塗り薬代わりの卵を20、消毒用の焼酎を1升、包帯としての白布(さらし)を5、6反用意するよう言いつけ、百兵衛さんに薬箱を持たせ先に帰します。
河岸の連中には、百兵衛さんの言うことは意味がわからないし、薬箱は三味線を入れるには小さすぎるように見えます。
しかし、箱は小さいが小さな折れ三味線、焼酎と生卵を飲んでさらしを巻いて弾く、と、こじつけて理解。
そこへ鴨地先生、「怪我人はどこに?」と。・・・百兵衛さんの間違いが露見します。
客は百兵衛さんを呼び出し、「抜け作」と。
百兵衛さん「抜けてる?どれぐれえ?」
客「たくさんだ」
百兵衛さん「かめもじ、かもじ・・・、たった一字だけだ」
白旗稲荷神社
日本橋本石町4-5-16
東京メトロ日比谷線・都営浅草線 人形町駅 徒歩15分。
A4出口の人形町交差点方面を出て「人形町通り」を右、車の一方通行の逆方向に進む。
小伝馬町交差点(小伝馬町駅のところ)を左折、「江戸通り」を進む。
「新日本橋」の駅を過ぎ、「室町3丁目」の信号の次の「一部歩車分離式」と書かれた信号交差点を右折、おそばの「神田本陣房」を左折すると右側に見えてきます。