齢(よわい)を重ねてこそ増す楽しみ
ー 落語にまつわるエトセトラ ー
「先代は凄かったね。」
「それに比べると当代、キレはあるけれどコクはまだまだだね。」
落語好きのじいさん達のたわいのない会話である。
「ビールの味比べじゃないんだ。御託を並べてないで、目の前の演者に全集中すればいいのに。」
先代の姿など知らない私は、自慢げな言い回しに反発しつつも、先代の凄さってやつに惹かれるのを感じていた。
ラジオかテレビで聞きかじった咄を披露したのは、小学校に入学した頃だった。
山手線の駅名を織り込んだ七五調の「恋の山手線」、四代目柳亭痴楽の代名詞となる、綴り方狂室の一編である。
『上野を後に池袋、走る電車は内回り・・・。』
父は、たいしたもんだと驚いてくれた。
嬉しくなって、新大久保で駅員を勤めた経歴を持つ歌奴(三代目三遊亭圓歌)の十八番「授業中」をやってみた。カール・ブッセ。
「山のあな、アナ、アナ、あなたもう寝ましょうよ。」
「どこで覚えてきたの!」 母に叱られた。
大人の前では、口にしない方が良かったようだ。
ませガキ、いや、少し成長の早かったお子様は、しばらく寝たふりをきめこむことにした。
寝床から揺り起こしたのは、二代目桂小南の七度狐だった。
喜六・清八が伊勢参りの道中で関わる性悪狐、一度化かすと七度化かす。
強烈な七倍返しだ。
人間なんぞに欺されて、眉唾しているようじゃお話にならない。
最強の稲荷神の眷属、お狐様はこうでなくちゃ。
座布団一枚の空間から沸き上がる、スリル、サスペンス、ハラハラドキドキの痛快な物語。
顔中を口にして話す「稽古の鬼」小南師匠の演出。鳴物音楽の面白さ。
しびれました。
勉学を志し上京。学校と四畳半アパートとの乗り換え駅が新宿だった。
新宿三丁目駅から直ぐの繁華街に「新宿末廣亭」は建つ。
椅子席の両脇に畳敷きの桟敷席を持つ、木造建築の落語定席。
看板、提灯、のぼりなどがこぼれる様に連なり、入場前から高揚感を刺激する。
二ツ目の芸を磨く場となっていた深夜寄席は、学生の私には何よりのイベントだった。
後に大看板を張る師匠方の、修業に明け暮れた姿を目に焼き付けることになった。
東銀座に寄席が立つってよ。
東銀座で、一夜限りの寄席が出現すると聞いた。
銀座四丁目交差点から晴海通りを築地方面に向かう。
歌舞伎座をすぎて、万年橋を渡った先、右手に東劇ビルを見ると、通りを挟んだ左手に目的の「銀座松竹スクエア」がある。
新橋演舞場も近く、この周辺は、芸能の一大情報集積エリアとも言える。
「銀座松竹スクエア」 築地1丁目13-1。
2002年に竣工した超高層複合商業施設。
ビル内の個性的な飲食店は美味しくリーズナブル。
エントランスホールの木造の大階段が印象的だ。
休日などには、ファミリーが階段で憩う姿も見られた。
壁に張り出した木の装飾を見れば、ある建築家の特徴に思いが至る。
新国立競技場や歌舞伎座の設計に携わった、隈研吾氏。
大階段を利用して、高座が作られ、座布団が敷かれて客席に変わっていった。
出演者と観客の距離の近さ。
前列の席に座れば、高座の噺家さんと視線がクロスする。
ちょうど、末廣亭の桟敷席と同じくらいの目線。
もっとも末廣亭は斜め45度からになるが、ここは正面から噺家さんと対峙することになる。
台詞が流れ出る口元の動き。じんわりと浮き上がる額の汗。扇子扱いの妙。
着物の柄の細部まで、手に取るように分かる。
江戸末期、庶民の楽しみであった寄席は、町内に一軒ずつは設けられていたと言われる。
寄席に集まった八ッあん、熊さん、ご隠居さんも、こんな近さで聞いていたのかもしれない。
時折、生活音が入るのも愛嬌のうち。
時間が進み、晴海通りの景色が刻々変化する様子も面白い。
外の明かりが、全面のガラスを通して室内の雰囲気を暖かくしてくれる。
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東銀座の地域活性を目指した活動を企画・運営しているのは、松竹の不動産本部。
地域プロジェクトのチームリーダーは語る。
「銀座、築地を結ぶ地の利を活かし、地元にある施設を活用しながら、人が集う賑わいを創り出していきたい。」
先月10月には、ランチタイムコンサートが行われており、その様子はインスタグラムの「東銀座ガイド」から、見ることができる。
12月には、クリスマスの企画も用意されているという。
孫を見守る、じいさんの気持ち
フッと気がついた。
卓球の愛ちゃんも、フィギュアスケートの真央ちゃんも、テレビドラマの子役達も、長年にわたりその活躍を応援し、成長していく姿を見てきた。
見続けていると、親戚でもないのに子や孫を見守る様な、ごく身近な存在として捉えてしまうのである。
噺家さんの成長も、年を経て見てきたからこそ、ひとしおの愛着が湧く。
先代がどうのこうのというそれも、知ったかぶりの自慢だけでなく、身近な応援者としての心情も多々混じっているのかもしれない。
比較される方にとってはたまらない重圧だろうが、芸を磨き上げて客の期待に応えて欲しい。
地域に気軽に芸能、芸術に触れることができる拠点があるのは素敵なことだ。
そして長年にわたり続いて行くことが、伝統文化というもになるのだろう。
いつの間にか、じいさん達の心持ちがそれとなく分かる年齢になってしまった。
同じじいさんになるのなら、可愛げのある、様子の良いじいさんを目指してみようか。