中世に思いを馳せる中央区内の源氏・平氏関連スポット
こんにちは。アクティブな活動はお休み中のHanes(ハネス)です。
中央区というと江戸時代以降の歴史・文化が息づくエリアというイメージが強いかと思いますが、実は源氏や平氏に関するスポットもあるんです♪
にわかに信じられないという方、今日は中世に思いを馳せることができるそのようなスポットを一緒に巡ってみませんか?
凧の博物館
時は寿永3年(1184年)1月末(旧暦)、後白河法皇より源頼朝に平家討伐の命が下されました。
それから間もなくして摂津国一ノ谷での源平合戦に突入!
2月7日早朝、平氏が油断した隙に、義経らは鵯越の逆落しの急襲により源氏軍に勝利をもたらし、平氏は海上への敗走を余儀なくされました。
この際、元は平氏についていた源氏の武将熊谷直実が、心を痛めながらも平氏の若武者平敦盛を打ち取ります。
直実はこれにより心に深い傷を負い、後に出家。
敦盛を討った時のことは、並木宗輔の浄瑠璃『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』に描かれ、歌舞伎としても上演されています。
そのように現代にまで語り継がれるその戦いは江戸角凧「一ノ谷合戦」にも描かれ、日本橋室町にある「凧の博物館」に所蔵されています。
今回は、傑作とも言われるその凧をオンラインで鑑賞してみましょう。
(上記リンクで画像が表示されない場合はこちらから)
※2020年秋の移転に関しては、先輩特派員rosemary seaさんの記事「再開発のため、移転しました 改めましてご紹介します ~ 凧の博物館 ~」をご覧ください。
鎧の渡し
続いては、日本橋川にかかる鎧橋のたもとに説明版が設置されている鎧の渡し。
平安時代に源義家が奥州攻めに向かう途中、当時ここにあった大河および船渡しにて暴風雨に遭いました。
その際に、鎧一領を海中に投じて龍神に祈ったところ、無事に渡ることができたという伝説が残っているのです。
また、源平関連で言うと、平将門が鎧と兜を納めた場所としても伝わります。
この船渡しは、明治5年(1872年)に鎧橋が架けられ役目を終えましたが、その風景は『江戸名所図会』などにも描かれており、和朝亭国盛は「縁日に 買うてぞ帰る おもだかも 逆さにうつる 鎧のわたし」と詠んでいます。
勧進帳の弁慶像
甘酒横丁の近くにある浜町緑道を歩くと、勧進帳の弁慶像が目に入ります。
遡ること江戸時代。現在の日本橋人形町あたりには官許の芝居小屋である中村座と市村座があり、歌舞伎を上演し繁栄していました。
そのような歌舞伎との縁から、緑道を改修した際に、歌舞伎十八番の中でも人気のある勧進帳の弁慶像が設置されたのです。
弁慶は源義経に仕えた僧兵ということで、源氏・平氏関連スポットとして取り上げました。
この像についてもう一歩踏み込んで知りたいという方は、先輩特派員rosemary seaさんの記事「『新参者』と人形町 10年を考察 ① ~ 弁慶像 ~」をご覧ください。
熊谷稲荷神社
最後は、銀座にひっそりと鎮座する熊谷稲荷神社。
熊谷と聞いて、既にお察しの方もいらっしゃるかもしれませんね。
そう、この神社は前述の源氏の武将熊谷直実にゆかりのある神社。
源平合戦が終わり、鎌倉から現在の熊谷市に凱旋する途中、直実はこの地の人からお願いされるままに護持の神礼を授けたのだとか。
江戸時代以降の信仰や現在に至るまでの経緯は、上の写真をご覧ください。
町火消「も組」の頭であった竹本金太郎により戦火を逃れたことから、防火・開運・商売繁盛の神様としても親しまれています。
おわりに
今回は簡単に源氏・平氏関連スポットをご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?
意外な発見となった方も、「他にもっと関連スポットがないか探してみよう!」と思った方もいらっしゃるかもしれません。
安心して観光ができるようになったら、ぜひ探しに来てみてくださいね♪