二つの食文化の境界線、佃大橋に立つ・醤油文化とソース文化
隅田川に架かる佃大橋に立つと、左側に佃島エリアと右側に月島エリアを見ることが出来ます。
佃島は、まさに江戸時代からの「醤油文化」=「佃煮」発祥の地です。
月島は、明治時代からの「ソース文化」のご当地グルメ=「もんじゃ焼き」の地です。
本日は、先ずメトロ有楽町線新富町駅7番出口から真っすぐ、佃大橋に立つことで初めて見える二つの食文化=「醤油文化」と「ソース文化」のご案内です。
佃大橋から左側へ、かつての佃島へ入ったとたんに醤油と砂糖の甘辛い匂いが漂ってきます。
佃島は、徳川家康と縁あって摂津国佃村(現、大阪市西淀川区)から江戸にやって来た漁師たちによって、1644年に築島されました。
漁師たちが小魚を腐らないように塩辛く煮詰めていた保存食が、物流の発展により下総国野田から醤油が入って来ると、醤油煮へと変わりました。それが今の佃煮です。
江戸時代からの佃煮発祥の地、佃島には、今も4軒の佃煮屋さんがあります。下町情緒が色濃く残る佃を散策しながら、ご自分好みの佃煮屋さんを見つけるのも楽しいですね。
佃大橋から右側へ、月島に入ると、すぐに真っすぐに伸びる道が目に入ってきます。月島は、明治25年に東京湾の澪さらいの土砂により埋め立てられ、日本で初めて近代都市計画により誕生した街なのです。
工場で働く人たちが住む長屋が多く立ち並んだ街中で、子供相手の駄菓子屋で食べるおやつとして人気があったのがもんじゃ焼きです。
もんじゃ焼きは、1988(昭和63)年にメトロ有楽町線が開通して、地元名物と紹介され、2000(平成12)年に都営地下鉄大江戸線が開通すると大人気になりました。
通称もんじゃストリートと呼ばれる西仲商店街周辺には、60,70軒のもんじゃ焼き屋さんがあります。商店街、路地を歩けばソースの匂いに誘われます。月島に来るたびごとに、いろいろなお店を開拓する楽しみがありますね。
佃大橋は、まったく違う二つの食文化を知ることが出来る境界線でした。是非、このビューポイントに立ち、「醤油文化」と「ソース文化」をご堪能ください。