rosemary sea

茅場町駅・八丁堀駅周辺の静かな佇まいの神社めぐり ⑧
 ~ 日比谷稲荷神社 ~

『ギフト、そして自分も楽しむ』をハイ・アングルで取材します、rosemary  sea  です。

 

「茅場町駅・八丁堀駅周辺の静かな佇まいの神社めぐり」シリーズ、第8回の今回は、日比谷稲荷神社(ひびやいなりじんじゃ)をご紹介します。

それでは・・・

 

 茅場町駅・八丁堀駅周辺の静かな佇まいの神社めぐり ⑧
 ~ 日比谷稲荷神社 ~

長禄元年(1457年)と言われています。

ここの地一帯は「日比谷町」と呼ばれていたそうで、そこから名付けられたようです。

 

 茅場町駅・八丁堀駅周辺の静かな佇まいの神社めぐり ⑧
 ~ 日比谷稲荷神社 ~

この社の裏には「亀島川」が流れています。

2つ前のスポット「徳船稲荷神社」とは、斜め対岸になります。

ただし、徳船稲荷神社は「南高橋」のほとりに建っていましたが、こちら日比谷稲荷神社は「高橋」から少し入ったところにあります。

 

 茅場町駅・八丁堀駅周辺の静かな佇まいの神社めぐり ⑧
 ~ 日比谷稲荷神社 ~
 茅場町駅・八丁堀駅周辺の静かな佇まいの神社めぐり ⑧
 ~ 日比谷稲荷神社 ~
 茅場町駅・八丁堀駅周辺の静かな佇まいの神社めぐり ⑧
 ~ 日比谷稲荷神社 ~
 茅場町駅・八丁堀駅周辺の静かな佇まいの神社めぐり ⑧
 ~ 日比谷稲荷神社 ~

今回も江戸古典落語をご披露させていただきます。

第35回となりました。

今回は、派手な朱色の鳥居・幟(のぼり)から連想して、「派手彦(はでひこ)」をご紹介します。

 

<事前確認コーナー>

長谷川町の新道(じんみち)・・・

2020年8月25日の第11回「百川」でも登場しました。

三光新道(さんこうじんみち)のことですが、2020年4月3日ご紹介の「三光稲荷神社」の参道のことを言います。

「長谷川町」は現在の日本橋堀留町です。

 

乗物町・・・

こちらも現在の日本橋堀留町の一部です。長谷川町の隣りです。

駕籠(かご)などの乗り物を作る職人が多く住んでいましたので、こう言われたようです。

 

鳶頭(とびがしら)・・・

鳶(建設業・高所作業者)の親方。

2月10日、第33回「山崎屋」でも解説させていただきました。

 

小網町の鎧(よろい)の渡し・・・

2020年11月7日「人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社」NO.29 摂社 日枝神社 中の「鎧の渡し跡」をご覧ください。

 

松浦佐用姫(まつうら さよひめ)・・・

万葉集には、佐用姫関連で、以下の歌を含む7首の和歌が歌われています。

   海原の 沖行く船を 帰れとか

   領巾振らしけむ 松浦佐用姫

領巾(ひれ)とは、薄布製のスカーフ状の肩掛け。

最愛の大友狭手彦(おおとものさてひこ)が朝鮮出征となった折、別れを悲しんで、領巾を振りながら石になったという佐用姫伝説。

「松浦」は佐用姫が、狭手彦からもらった鏡を落としてしまった「松浦川」のこと。

「松浦屋の佐兵衛」も、「松浦川」「狭手彦」「佐用姫」をもじっています。

 

 茅場町駅・八丁堀駅周辺の静かな佇まいの神社めぐり ⑧
 ~ 日比谷稲荷神社 ~

「派手彦」

 

長谷川町の新道・踊りの師匠の坂東お彦は、芸風・身なり・立ち居振舞すべてが派手。

「派手彦」と呼ばれています。

そんな派手彦を、乗物町の酒屋・松浦屋の番頭・佐兵衛が見初めます。いわゆる一目ぼれ。

 

佐兵衛は仕事一筋のカタブツでしたが、仕事が手につかず、ついには寝込んでしまいました。

そこで旦那は鳶頭に相談、鳶頭の口利きでめでたく祝言を挙げることに。

佐兵衛は恋女房に尽くします。

 

ある日、お彦は木更津の祭りで踊り披露するよう頼まれました。

佐兵衛は小網町の鎧の渡しの船着き場に立ち、手を振りお彦を見送ります。

 

「大変だ、佐兵衛さんが固まってしまった」

「松浦佐用姫は石になったというが、佐兵衛さんも石になったか」

「女房孝行(香こう)で重石(漬物石)になった」

 

日比谷稲荷神社

日比谷稲荷神社 茅場町駅・八丁堀駅周辺の静かな佇まいの神社めぐり ⑧
 ~ 日比谷稲荷神社 ~

八丁堀3-28-15

(前スポット 鉄砲洲稲荷神社からは)

交番に戻る方向に進み、高橋も越えて約400m、右側にあります。