連載小説「Kimagure湊だより」第1話かつてここだった、その場所
第1話 かつてここだった、その場所
黄色い小鳥ちゃんが、とつぜん、私の部屋にまいこんできた。それは、蝉の声がいちだんと高らかな、夏も暮れにちかづいた、どこか眠たげな昼下がりだった。
「とてもいい、まちね!わたし、気にいっちゃった!」
小鳥ちゃんのひとことめは、それだった。黄色くて、ふわふわしていて、首もとに、赤いネッカチーフを巻いている。
窓をはんぶん、開けておいたのだ。キッチンでコーヒーを入れて、もどってきたら、窓枠にとまっていた。
「のどが渇いちゃった。ミルクいただけるかしら」
と、黄色い小鳥ちゃんは言った。
私は、きょとんとしている。なんの小鳥だろう…。黄色いからといって、ひよこではないし、カナリアというわけでもなさそうだ。野鳥には、こんなに目立つ色の鳥はいないはずだし、インコや文鳥でもなさそうだし…。そんなことを考えていると、
「あなた、ここで暮らして長いの?」
と、首をかしげて、片方だけの瞳で私を見上げた。
「うん…。といっても、1年くらいになるかな」
と、私はこたえる。
「それ、なんの本?」
黄色い小鳥ちゃんは、机のほうにくちばしを向けた。そこには、本が開いたままになっていた。
「『歩いてわかる中央区ものしり百科』だよ」
私はこたえる。年明けの検定に向けて、今から勉強中だ。
「見せて」
と、黄色い小鳥ちゃんは、興味をもったようだ。いいよ、と言うと、窓枠からぴょんと飛びおりて、開いたページのうえにのっかった。ちょうど、築地・明石町エリアのウォーキングコースのページが開かれていた。
「なになに?」
と言いながら、黄色い小鳥ちゃんは、足もとの文字を読んで、矢印の方向にぴょんぴょんはねてゆく。
「いち…、しん、とみ…ざ、あと。に…、くつ…ぎょう…はっしょう、の、ち」
こんな調子で、①の新富座跡から、②の靴業発祥の地、そして芥川龍之介生誕の地、浅野内匠頭邸跡、女子学院発祥の地、立教学院発祥の地、蘭学事始地碑、慶應義塾発祥の地、聖路加国際病院(聖ルカ礼拝堂とトイスラー記念館)、アメリカ公使館跡の記念碑、指紋研究発祥の地、明治学院発祥の地、カトリック築地教会聖堂、築地外国人居留地跡、をまわって、⑮の雙葉学園発祥の地までの、名所や記念碑を、ていねいに読み上げ、一歩ずつ進んだ。
だから、ゴールの新富町駅に着いたころには、私の手のなかのコーヒーは、冷めてしまっていた。
ほかにも、ものしり百科のなかには、日本橋・京橋エリア、銀座エリア、人形町・東日本橋エリア、佃・月島・晴海エリアのウォーキングコースがある。
小鳥ちゃんがこの本のうえにのると、まるですごろくをしているようだ。小鳥ちゃんじしんがコマになって。それとも、本のうえだけでもう、小鳥ちゃんはまち歩きをしている気分みたい。
「あ~おもしろかった!」
と、黄色い小鳥ちゃんは、ページのうえで伸びをする。
「ひとつ、いい?」
と、私はひかえめに声をかける。黄色い小鳥ちゃんは、羽根をぐっと伸ばしながら、ちらっと私のほうを見た。
「2ばんめの、それ、”かぎょう”かも」
私が遠慮がちにそう言うと、黄色い小鳥ちゃんは、靴業の文字をじっとみつめ、
「そうだったわ。かぎょうだった。うっかりしちゃった」
と、涼し気に言った。
「そうだ、ミルクだったよね」
私は思いだし、キッチンにもどる。小さなしょうゆ皿に、ミルクをいれてくる。
「どうぞ」
と、本のわきに置くと、黄色い小鳥ちゃんは、
「ありがとう」
と言って、お皿のふちにとまり、くちばしでつついては、白い水玉をあたりにまき散らした。
つぎの週末も、黄色い小鳥ちゃんは来た。
午前中、買い物に行っているあいだ、窓をすこし開けておいたら、小鳥ちゃんが勝手に入ってきて、私の本棚を眺めていた。やっぱり今日も、赤いネッカチーフをしている。
「わたし、笑っちゃった!」
と言う。なんのことだろう、と思いながら、買ってきたものを冷蔵庫にしまう。
「3年に1度の住吉神社の本祭りで行われる、”船渡御”とは、なんですか?」
と、私に向かって、今にも吹きだしそうに小鳥ちゃんは言った。
私は、りんごを洗いながら、ふっと振り返る。小鳥ちゃんが見ているのは、前回の中央区観光検定の試験問題ではないか!いっきに、血の気がひく。
「だめ、はやく本棚にしまって!」
と、かけよったけれど、手おくれだった。
「1万の漁船が、隅田川に集結し、そのうえで舞いや能を披露する…」
と、黄色い小鳥ちゃんは言って、さもおかしそうに私をみつめた。
「あなたが選んだ、答えよ」
と。
私はうなだれて、小鳥ちゃんをにらむ。
「どんまい」
と、黄色い小鳥ちゃんは言った。
解答は4択で、そこに私のつけたまる印が残っている。
船渡御とは、御座船にお神輿をのせて氏子地域を回る、神聖な行事だ。佃島のお神輿は八角神輿といって、天保9年に奉納されたものだ。その昔は、お神輿をかついだまま隅田川にはいり、川の水でお神輿を洗うという習わしだった。
住吉神社大祭では、なんといっても獅子頭の宮出しが見どころだ。獅子頭の鼻先を早くつかむと縁起がよいとされ、若衆が我さきにと佃島を駆けるようすは、江戸情緒のなごりをとどめる夏の風物詩として伝えられ、区民無形民俗文化財に登録されている。
「その問題を落としたのは、けっこうショックだったんだ。今でも引きずっているんだから…」
「誰にだってあることよ」
と、黄色い小鳥ちゃんは、知ったかぶる。
そのあと、りんごをむいて、一緒に食べた。
「来年も受けるつもりなの?」
と、小鳥ちゃんはきく。
「もちろん」
と、私はこたえる。
「どうして?」
「このまちが好きだから」
ふぅ~ん…と、黄色い小鳥ちゃん。
「どんなところが?」
「なんとなく」
と、私は言い、
「そういえば、小鳥ちゃんはどこから来たの?」
ときくと、とつぜん小鳥ちゃんは、考え深そうな顔になった。そして、私にそっと振り向いて、
「小鳥にきいてはいけないことって、なんだか知ってる?」
と言った。首を振ると、小鳥ちゃんは言った。
「どこから来たの?ということと、どうしているの?ということ」
と、静かにゆっくりと発音した。まるで、私に言い聞かせるように。
それで、私は
「わかりました」
と言いながら、どうしているの?という質問もしたかったことを思いだし、言葉をのみこんだ。どうして、小鳥ちゃんはうちに来たの…?
小鳥ちゃんは、もう平気な顔をして、りんごをついばんでいる。じゃあ…と、私は質問をかえてみる。
「小鳥ちゃんは、どうしてこのまちが気にいったの?」
すると、小鳥ちゃんはこたえた。
「なんとなく」
と。それで、目が合うと、私たちはなんだかおかしくなって、笑ってしまった。
「今はないものや、見えないもののほうが多いまちね」
と、黄色い小鳥ちゃんは言う。
「たしかに、発祥の地や、生誕の地や、記念碑だけがぽつんと置かれていたり、そういう、”かつてここだった、その場所”ばかりだね」
「それは、カタチじゃないわ。なにも知らなければ、通り過ぎてしまいそうなあわただしいまち角に、時が残したタカラモノが隠されている…」
「それを、ひとは”まちの記憶”と呼ぶのかな」
「それに耳をかたむけるのが、私たちの役目」
と、小鳥ちゃんは目をとじて、窓のほうに耳を澄ます。
「まちを豊かにするものは、たぶん、そういう、想像力なのかもしれないね」
と、私は思う。
「キセキのようなまちよ」
小鳥ちゃんは、歌うように言った。
「タカラモノでいっぱい! まちはキラキラと輝いているわ」
「私、このまちのこと、もっと知りたい!」
私は、想いをあらたにする。
こんなふうに、小鳥ちゃんは週末になるとやってきて、私とお茶をしたり、ものしり百科のうえを、行ったり来たり、ときどきまちについて、感想を述べたりした。
開けた窓から、キンモクセイの香りが届く。
もうすぐ、まち歩きにぴったりな季節がやってくる。
つづく
♪ 参考文献 「歩いてわかる中央区ものしり百科」中央区観光協会
中央区観光協会特派員 湊っ子ちゃん
第118号 令和3年3月6日