湊っ子ちゃん

連載小説「Kimagure湊だより」第2話江戸っ子はそれくらいじゃ橋を曲げない!

第2話 江戸っ子はそれくらいじゃ橋を曲げない!

 


 午後、黄色い小鳥ちゃんと、地域資料室に行くことにした。小鳥ちゃんが、ぜひ行ってみたいと言ったのだ。

「わたし、そのへんの鳥が読まないような本を、読むのが好きなの」

 と、黄色い小鳥ちゃんは言う。

「そのへんの鳥っていうのは、なにを読むの?」

 ときくと、

「知らない」

 と言って、そっぽを向いた。

 そこで、私は黄色い小鳥ちゃんを、肩のうえにのせて、でかけることにした。

 

 私は、京橋図書館の、昔っぽいたたずまいが好きだ。まんなかにカウンターがあって、司書さんが座っている。新聞コーナーでは、ちかくの会社員ふうのおじさんたちが幅をきかせ、雑誌コーナーのベンチには、料理本を広げるお母さんがたや、むずかしい顔をしてページをめくるおじいちゃんなどで、いつも満席だ。

 図書館まえのサンクン・ガーデンでは、季節の花々が来た人を出迎えてくれる。ガラス張りの掲示板が立っていて、そのなかに、中央区の昔の写真や、浮世絵などがテーマごとに展示され、色画用紙や糊を使って、手作りされている。

 よくちいさい頃に使っていたような、持ち帰り用の青いビニール製の手さげがあって、そこには”京橋図書館”と白い文字が入っている。手荷物をちょっと置いて、借りた本を整理できるような、ちいさい机がそこかしこに置いてあって、今月のおすすめの本は、そんなに目立たない場所に、こぢんまりと並べられていたりする。

 どこにも気どったようすはない。だから、私は京橋図書館が好きだ。

 

 地域資料室は、京橋図書館の地下にある。中央区に関する本が充実していて、区の刊行図書や、文化財調査の報告書、町会の記念誌まで、なんでもそろっている。

 階段をおりて、ドアにはめこまれたガラス窓をのぞくと、もう先客があるようだ。ドアノブを回してなかに入る。

「こんにちは」

 と、司書さんが声をかけてくれた。

「こんにちは」

 と、私もかえし、小鳥ちゃんもぴよぴよと、鳥らしい声をだす。

 地域資料室には、大きな机がふたつ並べられていて、そこで勉強をしてもいいし、たいがいは、大きな地図を広げ、司書さんと誰かが、まちについて語り合ったりしている。

 山高帽をかぶったおじいさん。

「たしかに、室町二丁目のはずなんです。古文書にも、そう書いてあるんです。ところが、いくら探してもない。どうしたことでしょう」

 と、おじいさんは腕組みをした。

「江戸っていうのは、両側町だったんですよ」

 と、司書さんが地図を開く。

「りょうがわまち?」

「えぇ、公道をはさんで、両側におなじ町があるんです。今は一般的に、道路の向こうとこちらでは町名がちがう、なんてことはよくありますが。

 江戸時代の”道”は、”町の中心”を意味するものだったんです。そこにはヒトやモノが集い、情報が交換される場であり、都市生活におけるコミュニティの核をなしていました。いってみれば、西欧でいう”広場”の役目が、”道”だったんです。

 ”向こう三軒両隣り”なんてよく言いますが、まさにそれで、道をはさんで向かいの三軒、両隣が町を構成する基礎的な単位だったんですよ」

 と、司書さん。

「今とぜんぜん違いますね。道は、町を分けるものではなくて、町をつなぐものだったと…」

 ふたりして、机のうえの地図をのぞきこむと…

「あった!これです!」

 と、山高帽のおじいさんが、歓声をあげた。

 司書さんも、嬉しそうに笑顔をかえす。

「なんど探してもみつからないはずだ。道をはさんだ向こうだったなんて。いや、これですっきりしました。今夜はやっと眠れそうです」

 と、おじいさんは帽子をとって、お辞儀した。

 こんなふうに、会話をきいているのも勉強になる。ここに来る人たちは、どうしても知りたいなにかを胸のまんなかにもっていて、それをまっすぐに調べにくる。そういう人たちの顔は、とてもいい。なにかに夢中になっている人って、すごくいい。

 私と小鳥ちゃんは、本棚の前に立ちながら、ふん、ふん、とうなずく。

 

 ボランティアガイドをしている人たちも、よくここを利用するようだ。分厚い資料を両手に抱えたご婦人が、なかに入ってきた。司書さんとは知り合いのようで、どうも、と軽やかに挨拶をかわす。

「永代橋のことなんですけど」

 と、さっそく本題に入る。

 永代橋は、元禄11年、5代将軍綱吉の50歳を記念して架けられたという橋だ。いまの重厚でたくましい印象の鋼バランスド・タイドアーチ橋は、大正15年に架けられた震災復興橋梁で、清洲橋とはペアにたとえられている。平成19年、ともに国の重要文化財に指定された。

「もともとは今の場所じゃなかったんですよね」

「そう。いまの場所より、150mほど上流にあったんですよ」

 私は、頭のなかで地図を思い浮かべる。150m上流といったら…、そうか、豊海橋より上にあったんだ。豊海橋は、日本橋川の河口部にかかる橋で、梯子を横にたおしたようなユニークなデザインが特徴だ。

「だから、向こうの通りが栄えていたんですよね。永代橋の位置が変わってから、すっかりすたれてしまったけど」

 日本銀行発祥の地を思いだす。北海道開拓使物産売捌所の建物を、はじめは使っていたんだよね。ジョサイア・コンドルの設計だったっけ…。今は、人通りもすくなくて、すこし寂しい道だけれど、ほんとうはあちら側が、メイン通りだったのかな…と、考えてみる。

 裏通りにしては、道幅が広いのは、そういうことだったのかもしれない。昔のメイン通りの名残り…。

「参加者の方がね、どうして永代橋の位置を変えたんですか?って質問されたんです。私、どうしてだろう…ってあらためて考えて、それで今日は、それを調べに来たんですよ」

 と、ご婦人は言った。

 ねぇねぇ、と、私は小鳥ちゃんに小声で話しかけた。

「湊三丁目の、お地蔵さま、知ってる?」

「えぇ、もちろんよ。あそこのお地蔵さまとは、お友達ですもの」

 黄色い小鳥ちゃんは、誇らしげに言う。

 汐見地蔵尊。朱色のお堂のなかには、明治時代に川底から現れたというお地蔵さまが安置されている。地域の方たちが、いつもきれいに掃除して、あふれるばかりの鉢植えと花々に囲まれている。

「たしかご由緒に、永代橋のことが書かれていたよね?」

「えぇ、文化4年に起きた、永代橋崩落事故によって犠牲になった人たちが、あの場所にたくさん流れ着いたらしいわね。その魂を鎮めるために、お地蔵さまがいらっしゃるのよ」

 と、黄色い小鳥ちゃん。

「もしかして、それと関係あるんじゃないかな!」

 と、私は確信めいた表情で言った。

「司書さんに言ってみなさいよ」

 と、黄色い小鳥ちゃんが、私のほっぺたをつついた。

「え?でも…」

 ためらっていると、

「発言するのも、勉強のうちよ」

 と、大人びた口調で言って、うんうん、とうなずく。

「そお?」

「もち!」

 それで、私は勇気をふりしぼって、

「あの…」

 と、ちいさく手をあげてみた。

 司書さんとご婦人が、どうじに振り向く。

「もしかして…私思ったんですけど、江戸時代に深川八幡宮の祭礼で、永代橋が落ちましたよね?そのあとも、洪水や火事で、架け替えるたびに落ちたそうで。どうもこの場所だと縁起わるいっていうことで、今の場所に移動したのではないでしょうか…」

 と、言ってみた。

 し~ん…。

 もしかして、まるで見当違いだったかも? いっきに顔が赤くなる。司書さんも、ご婦人も、返事に困っているようだ。そこへ、

「江戸っ子は、それっくらいじゃ橋を曲げねぇっていうんでぃ!」

 という甲高い声が、静まりかえった地域資料室のなかに鳴り響いた。

 …小鳥ちゃんだ。

 私は、肩のうえの小鳥ちゃんに、ゆっくりと振り向く。

 司書さんは、ふふふっと笑いだし、

「そりゃそうだ!」

 と言った。すると、ご婦人もつられて、

「そうですね、たしかに」

 と、くすくすと笑いだす。

 小鳥ちゃんは、満足そうだ。私のほうをみると、ほらね、という顔をしている。

「小鳥ちゃんが言えっていったんじゃない…」

 私は、泣きべそをかく。

 連載小説「Kimagure湊だより」第2話江戸っ子はそれくらいじゃ橋を曲げない!

 ちかくの喫茶店で、ひとやすみしてから帰ることにした。

 黄色い小鳥ちゃんは、メニューのうえにのっかって、ひとつひとつ文字を読むので、しばらく時間がかかる。ようやく、

「わたし、これにするわ」

 と、コーヒーフロートの写真をくちばしでつついた。それで、私は店員さんに手をあげて、赤いさくらんぼののった、そのコーヒーフロートを注文した。

「よく考えてみたら、永代橋がいまの場所になったのって、明治30年に鉄橋になったときだよね。永代橋が落ちたのとは、ぜんぜん関係なさそうだね。だって、そのあと、江戸っ子はまた同じ場所に架けたんだもん」

 と、私はたったいま地域資料室から借りてきた、「中央区の橋・橋詰広場」という大きな本を広げて言う。

「わーはずかしい!」

 と、さっきのことを思いだして、私はまた赤くなる。

「明治に入って交通網が整備されたときに、便の良さを考えてあの場所になったのかもね。いわゆる、永代通りだね。江東区と道はつながっているね」

 コーヒーフロートが運ばれてくると、小鳥ちゃんは歓声をあげた。

「すてき!すてき!」

 と言いながら、コーヒーフロートのまわりをぱたぱたと飛びまわる。やがて、グラスのふちにちょこんと座ると、アイスクリームをつつきはじめた。

 私は笑いながら、ストローでコーヒーの部分をすする。

 返却期限がハンコで押されたちいさな紙を、しおりの代わりにして、永代橋のページにはさんでおく。さっき、司書さんが本にはさんでくれたものだ。そこには、ふくろうの絵がプリントされていて、紙は黄色だったり、黄緑だったり、水色だったり、その日によってちがう。

 なんだか、あたたかい。こういうところも、好き。

「そうかぁ…」

 と、私はふと思う。

「さっきの話だけど、江戸時代、道は町の中心だったんだよね。町を、横につないでいた。仲良く、手をつなぐようにね。だとしたら、今の道は、町を縦につないでいるんじゃないかな。顔も名前も知らないような、遠い遠い町と町が、じつは一本の道でつながっている」

「そう考えると、なんだか夢がひろがるわね」

 と、黄色い小鳥ちゃんは、アイスクリームをいっぱいくっつけたくちばしを、ぴよぴよと動かした。

「よぉーし!がんばるぞー!」

 と、私は両手を伸ばし、

「そのいき!そのいき!」

 と、黄色い小鳥ちゃんは、さんくらんぼをチアガールのボンボンのように振り回した。

 

 

つづく

 

 連載小説「Kimagure湊だより」第2話江戸っ子はそれくらいじゃ橋を曲げない!

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♪ 参考文献「歩いてわかる中央区ものしり百科」中央区観光協会/郷土室だより第78号中央区の”みち”(その2) 中央区立京橋図書館 平成5年編集発行/「中央区の橋・橋詰広場」中央区教育委員会 1998年

 

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中央区観光協会特派員 湊っ子ちゃん
第119号 令和3年3月16日