向井将監忠勝が1634年に建造した安宅丸(あたけまる)は
2017年に歴史を超えて現在に蘇っていた!
1632寛永9年3代将軍徳川家光(2代将軍秀忠との説の有り)の命により、忠勝は江戸幕府史上最大の軍艦形式の御座船『安宅丸』を父正綱譲りの造船技術をもって新造しました。この巨大な船は徳川幕府の威信を示すために作られ、江戸名物の一つになって「日本一の御船」と呼ばれました。
1682天和2年5代将軍綱吉の命により、『安宅丸』を解体する時は『徳川実地紀』には「古今比類なき大船なので、水主・摂取をはじめ関わる人は数百人いる。結果的に1年に10万石の税が必要と言われた。よって老中堀田正俊が、下々の奢侈を禁止するためにも、まず、お上が無駄な費用を省くべきであると建議し、解体に至った」とありました。
江戸幕府の確立を初代将軍家康から引き継いだ実直な2代将軍秀忠と生まれながらの将軍と言われた3代家光の2人の魂が込められた安宅丸は徳川幕府の権威の象徴でしたが、幕府体制が盤石となった48年後には莫大な維持費だけが掛かるだけの無用の長物になってしまいました。
安宅丸は江戸幕府270年の歴史の中で最も大きな船として、三浦按針の造船技術を参考にして忠勝によって製作されました。
安宅丸どんな船❔
1634寛永11年伊豆の伊東で完成までに2年かかりました。安宅丸は東京湾に回航され、翌年1635寛永12年6月2日には品川沖で3代将軍家光が試乗、その後江戸深川に係留されました。
『安宅御船仕様帳』『安宅御船諸色註文帳』によると、全体は和洋折衷の船型で船首に長さ3間の竜頭を置き、竜骨の長さ125尺(約38m)・肩幅53.6尺(約20m)で推定排水量1500t・艪数は2人掛りの100挺でした。
上部は安宅船に準じた日本式の軍艦艤装を、2層の総櫓で船首側に2層の天守を備え、その巨大さから富士山に、豪華さは日光東照宮に比肩された江戸の名物の一つでもありました。
外板厚みは1尺(約30㎝)もあり、当時の関船を主力とした他の大名の水軍力では破壊は不可能であり、さらに防火・船喰虫対策として、船体・上構全てに銅板を張っていました。
しかし、あまりにも巨大であったため大艪100挺でも推進力が不足であり、実用性がなく、将軍の権威を示す以外にはほとんど機能しませんでした。
これについては、「浅い喫水も併せて、江戸防衛の為の移動要塞としての任務が主なため」との意見もあります。
また、建造を命じたのは2代将軍秀忠であり、3代家光によって、絢爛豪華な装飾が付けられました。
維持費用が大きく、奢偧引き締め政策の影響もあり、1682天和2年に幕府によって解体されました。以後は、関船系の「天地丸」が幕府の最大鑑となりました。
安宅丸と向井将監忠勝の年表比較
1604慶長9年(忠勝22歳)三浦按針が伊東で洋式帆船を建造する。80t・120tの2隻
1605慶長10年(忠勝23歳)ドン・ロドリコと三浦按針がサン・ヴェナ・ヴェンツーラー号120tを建造
1613慶長18年(忠勝31歳)スペインサン・フランシスコ号司令官セバスチャン・ピスカイノは伊東で伊達政宗の命により、忠勝と三浦按針によってサン・セバスチャン号を建造
1630寛永7年(忠勝48歳)3代将軍家光は御座船「天地丸」を建造
1631寛永8年(忠勝49歳)2代将軍秀忠より、安宅丸建造を忠勝に命じられました。(大獣院殿御実記)
1632寛永9年(忠勝50歳)3代将軍家光より安宅丸建造を忠勝に命じられ、着手
1634寛永11年(忠勝52歳)安宅丸竣工江戸へ回航、装飾
1635寛永12年(忠勝53歳)3代将軍家光が安宅丸に初乗船
1641寛永18年忠勝60歳死去
1662天和2年5代将軍綱吉の命によって安宅丸は解体
安宅丸をめぐる伝承
新大橋の御船蔵に入らず、大川に野ざらしとなっていた安宅丸は、建造後48年の歳月には勝てず、かっての将軍家ご威光の豪華船がボロボロになると、口がさがない江戸市民は、怪談話をデッチ上げ、毎晩老いさらばえた声で「伊豆に帰ろう、伊豆に帰ろう」と泣いているなどと言いふらしました。
「蔵の中で伊豆に帰りたがった」「解体後の板を穴倉の蓋に用いていたが、それを安宅丸の魂が許さず召使の女に憑いて主人を脅かし蔵を作りかえさせた」などの民族伝承も生まれました。
御座船 安宅丸 東京遊覧船は2021年10月より神戸港遊覧船で大活躍中!
2021年5月29日東京遊覧船運航終了後、2025年大阪万博開催のため神戸港で和式豪華客船として2021年10月16日から運行しているそうです。
2017年リニューアル・リサイクル・リメイクをテーマに御座船安宅丸(ござぶねあたけまる)486t・総長49.70m・幅11.00m・深さ4.10m・2艙構造(舞台・展望デッキ)は、JR九州の駅舎・豪華寝台列車「ななつ星in九州」・しなの鉄道「ろくもん」のデザインで知られる日本を代表するインダストリアルデザイナー水戸岡鋭治氏が監修して生まれ変わり、クルーズ豪華客船として大きく躍進しました。
船内は意匠性のある内装になっています。ぬくもりのある木をふんだんに使った品格のある船内には色鮮やかな幕や暖簾・ふすま絵や天井画・和傘を配置し、古今東西様式を曼荼羅のように組み合わせたデザインで、ご乗船のすべてのお客様を異次元の世界のような優雅な海游絵巻の世界へといざなってくれます。
1986年両備グループ(岡山市)が瀬戸内海で就航。2011年~2021年5月29日まで東京湾遊覧船として活躍
2021年10月16日から神戸港両備グループの神戸ベイクルーズ(神戸市中央区)が運航しているそうです。
10時15分~16時15分の毎時15分発。大人1,300円、中高生・65歳以上1,100円、小学生650円
神戸ベイクルーズhttps://kobebayc.co.jp
2025年大阪万博に行った時に是非、神戸湾で安宅丸に乗ってみたいです。
勿論、大阪万博が終わって東京に安宅丸が戻って来たら再度乗船トライをするつもりです。
参考文献
ウィキペディア 「安宅丸」
石井謙治責任編集著 「復元日本大観4 船」 世界文化社
石井謙治著 「和船」2 法政大学出版局