連載小説「Kimagure湊だより」第3話佃煮の湯気は冬を告げる
第3話 佃煮の湯気は冬を告げる
冬の寒い日、佃煮屋さんの前に立って、換気口から噴きでてくる甘く香ばしい匂いのするなまあたたかい湯気を、顔にうけるのが私の秘かな楽しみだ。
換気口からは、それこそ毎日湯気がでているはずだが、気温の高い季節は、目には見えない。気温が下がってくる秋ぐちでも、それでもまだ見えない。いちばん見えるのは、ものすごく寒い冬のまんなかあたりだ。
どの年でも、ある日とつぜん、真っ白い湯気がいきおいよく噴きだしている瞬間がある。それをみつけると、あぁ、今年も冬が来たんだなぁ…と、思う。私のなかの、風物詩。
朝はやい佃大橋を、黄色い小鳥ちゃんと一緒に歩いた。
いち年のなかで、いちばんきれいな季節だ。隅田川を泳ぐ光の粒、透きとおった空気、リバーシティ21の窓々に反射する、朝のきらめき。
「なにかしら、このおいしそうな匂いは?」
小鳥ちゃんが、鼻をくんくんとさせた。
「ほら、あそこだよ!」
と、私は橋のたもとにある、出し桁づくりの屋根をもった、年季の入ったお店を指さす。
「行ってみましょうよ!」
と、小鳥ちゃんは私の肩のうえで、羽根をぱたぱたとさせる。
換気口のまえに、小鳥ちゃんと一緒に立つ。立って、顔に甘く香ばしい湯気をうける。
「佃島は、漁師の町だったんだよ。江戸時代、徳川家康につれられて江戸にくだった森孫右衛門さんと漁師たちは、干潟100間四方を埋め立てて、ここ佃島を築いたんだよ。白魚漁をなりわいとして、幕府に献上していたの。そのときに使っていた献上箱が、タイムドーム明石に展示されているよ」
「そうなのね。佃煮は、ここ佃島がはじまりなのね」
「船で漁にでるみんなのために、長い時間海のうえに置いておいても悪くならないような食糧を持たせてあげたいと、小魚を塩辛く煮詰めたのがはじまりなんだって」
ふと見ると、ちかくの自転車のかごのふちに、すずめがたくさんとまっていた。
すずめは、ときどき用心しながら地面に降りたつと、なにかをくわえて、あわてて木のうえに飛んでかえる。それで、また地面にやってきては、なにかをつついて帰ってゆく。
「すずめさんたちも、佃煮の甘い匂いが好きなのかな~?」
と、私は顔をほころばせる。
「ほら、ちゅん、ちゅん、ちゅん…」
と、しゃがみながら、
「よかったね、小鳥ちゃん。お友達がたくさんいるね!」
と、黄色い小鳥ちゃんに声をかけた。
すると、黄色い小鳥ちゃんは、まぁあきれた、という顔をして、
「あなた、すずめにあまり甘い顔をしないほうがいいわよ」
と、厳しい口調で言った。
「どうして?」
「あのひとたちには、ちょっと”タカをくくった”ところがあるわ」
と言う。
そしたら、ぽたん…と、頭のてっぺんがやけに冷たくなった。
…ん?
見上げると、電線のうえにすずめがとまっている。そして、おしりをこっちに向けて、私のことをじろじろと見ているではないか。もしかして…と、とっさに頭に手をやると、
「わー!!!」
あんのじょう、糞をされていた。
「ほら、言わんこっちゃない」
と、黄色い小鳥ちゃんは、おもしろそうに言った。
赤い佃小橋をわたって、スーパーマーケットに買い物にいく。
佃公園をぬけると、とつぜん、煉瓦づくりのお洒落な街並みになる。
このあたりはその昔、石川島と呼ばれていたところで、江戸時代には人足寄せ場があった。寛政2年に火付盗賊改メ方長谷川平蔵が、職のない貧民や軽い罪を犯した者をあつめて、自立の手助けを目的にはじめたのだ。明治10年には、石川島監獄所と名を改める。
造船所も忘れてはならない。嘉永6年、水戸藩主徳川斉昭によって、石川島造船所がつくられた。中央大橋の通り…まちの人たちは”リバーシティ通り”と呼ぶそうだ、よりも、北側のほう。ペリーの来航で、幕府は欧米への対抗に迫られたのだ。そして、日本初の洋式帆走軍艦「旭日丸」の建造が開始された。
その跡地に、昭和61年から起工したリバーシティ21。
地上40階の超高層マンション群と、下町情緒あふれる佃のたたずまい。対照的な景観がみごとに調和するこのあたりは、つねに観光客を惹きつけてはなさない。佃のお堀と、そこに架かる赤い佃小橋をフレームに入れて眺めるのが、いちばんだ。
ふいに、煉瓦の建造物が目のまえに現れた。
アーチ型に積まれているのだけど、煉瓦はきれいに整っているわけではなくて、ところどころ崩れたり、欠けていたり、落ちていたりする。足もとには、煉瓦がどっさりと山になっていた。
「なんだろうね、これ」
私は、たちどまる。
「『歩いてわかる中央区ものしり百科』には、載っていなかった気がするなぁ。まち歩きや文化財のパンフレットにも載っていなかったよね?」
ちかくに、案内板もないようだ。
「明石町には、明治時代、外国人居留地だった頃の煉瓦塀が残っているし、やっぱり銀座通りにも、銀座煉瓦街の歩道に使っていた赤煉瓦が残っているわよね。石川島も、なにか煉瓦と関係あるのかしら?」
と、黄色い小鳥ちゃんも首をかしげる。
これは、なにかの遺構なのだろうか。それとも…
「比較的、新しい感じもするね。最近つくったオブジェかも。おもしろいのは、わざと古い感じに見せているんだね」
「そうね、まるで長い年月のなかで置き去りにされたような、朽ち果てた感じを出しているわね」
そうだ…、と私は思う。
「今でこそこの辺りは、スーパー堤防が整備されてリバーシティ21があって、最先端の住宅地だけど、ずっと監獄所と造船所があったから、まちとしてはまだ若いよね」
「石川島造船所、のちの石川島播磨重工業が豊洲に移転したのは、昭和53年だったわね。それから長いことここは空き地だったらしいわ。最初の高層マンションが完成したのは、平成元年ですって。今では8棟の高層マンションがあるのよ」
と、黄色い小鳥ちゃん。
「できた当時は、まちじゅうが新品でピカピカだったんだろうね。そうすると、古いものや残されたものや、置き去りにされたものがないから、オブジェにそういったものを求めたのかもしれないね」
と、私は思った。
「そういうのって、ちがう言い方をすれば、歴史じゃない?たとえそれが、ただたんに誰かが捨てた空き缶や、どこかのうちの植木鉢がわりの発泡スチロール箱や、犬の糞は持ち帰りましょうみたいな看板でも、それはまちの表情だと思うんだ。あそこに行けば、あれがある、いつも変わらずある、いつまで経ってもある、っていう、そんなものたち」
「まちへの愛着とも、言えそうね」
「そういう、名前をつけられないようなひとつひとつを、みんなどこかで持ってると思うんだ。そういうものが、欲しかったのかもしれない」
「”歴史がほしい”っていうことかしら?」
と、黄色い小鳥ちゃん。
うん、と私はうなずく。
「東京にあつまる人たちは、それこそ新しいなにかを求めてやってくるけれど、それでも人って、”よりどころ”がないと心細いんだと思う」
「そのよりどころが、歴史なのね」
そこへ、一羽のすずめがやってきた。目のまえの煉瓦に、ちゅんととまる。おじいさんなのか、老眼鏡をかけ、べっ甲のループタイをしていた。
「すずめ!」
と、私はさっきのことを思いだし、みがまえる。
「おやおや」
と、すずめのおじいさんは笑った。
「この煉瓦が、気になりますかな?」
と、しゃがれた声で言った。
「はい」
と、うなずくと、
「石川島監獄所は、煉瓦づくりだったのです」
えへん!と言った。
「ほうとうですか!?」
私と黄色い小鳥ちゃんは、身をのりだす。
「その頃は、まだ造船所なんてほんの一部で、あとは野っ原でした…」
すずめのおじいさんは懐かしむように、そっと目を閉じた。そのとたん、ぱっとまぶしい光に包まれ、気がつくと、私たちはひろい空き地のまんなかに立っていた。
わぁ…
私と黄色い小鳥ちゃんは、目をぱちくりさせる。
あたり一面、みどりの雑草が生い茂り、黄色や白の花がたくさん咲いている。向こうのほうに、隅田川が陽のひかりを浴びている。
でも、なんだかおかしい。中央大橋もないし、対岸の高いビルや倉庫もない。そればかりか、月島はまだ埋立て工事中だし、勝どきや晴海の姿もない。ずっとずっと、ひろい海が続いている…。
いま私たちが立っているのは、リバーシティ21があるはずの場所だ。
「明治19年に、監獄所が巣鴨にうつって閉鎖されたあと、建物を壊したのです。くずれた煉瓦が、そこかしこに山になっていて、それはながいこと放置されていました」
と、すずめのおじいさんは言った。いつのまにか、私の頭のうえにちゅん、と座っている。ほんとうだ、さっき見たオブジェみたいに、砕けたり欠けた煉瓦が、おおきな山を作っていた。
「煉瓦の山を、赤山、赤山、なんて呼んでいましたっけ…」
そこにのぼって、子供たちが遊んでいる。なにか、背中に箱を背負っているみたいだ。朝日、という文字が書いてある。
「たばこの空き箱です。ああいうふうに、たばこ屋さんで空き箱を買ってきて、兵隊さんの背のうを真似してるんです。この頃の子供の遊びといったら、ベーゴマかめんこか、兵隊ごっこでした」
と、すずめのおじいさんは言った。
とんぼが飛んでいた。たくさん、たくさん。
私たちは、夢をみているみたいだった。無音映画のように静かで、そこにときどき、子供たちの笑い声だけが響いた。どこか靄がかかっていて、景色の輪郭と色味が、ずれたり混ざりあったりした。
目のまえを、着物姿の子供たちが、とんぼを追いかけて駆けていった…。
中央大橋を渡って帰ることにした。
中央大橋は、リバーシティ21の整備にともなって、平成6年に創架された橋だ。斜張橋で、白いタワーのてっぺんは、兜のような形をしている。石川島が、かつて兜島と呼ばれていたことに由来するそうだ。
そして、この中央大橋を作ったのは…そう、石川島播磨重工業だ。
いつのまにか、隅田川には夕焼けがキラキラと泳いでいる。
たしか、リバーシティ21のほかの棟には、古代ギリシャのような柱が立っていた。また別の棟では、大きな芸術作品があったり、ボラードにさりげなく、昆虫みたいなブロンズ像がいたりする。それぞれのエリアごとで、モチーフのちがうデザインになっているようだ。
「もしかして、あの煉瓦の建造物は、史跡でもなんでもなくて、マンションの飾りなのかも!」
私は、ふと思う。
「たぶん、そうだわ!」
と、黄色い小鳥ちゃん。
「どうやら私たち、深読みしすぎたみたいね」
私たちは顔を見あわせて、くすくすと笑いだした。
「見るものなんでも、中央区の歴史に関係あると思っちゃうなんて、こういうの、ビギナーズ・シンドロームとでも言うのかしら」
「ほんと、笑っちゃう!」
でも…と、黄色い小鳥ちゃんは、思いにふけったように、遠くをみつめる。
「さっきのすずめのおじいさんのように、あのオブジェを見て石川島監獄所を思いうかべるひとは、どれだけいるかしら…」
「埋もれてしまうのは、仕方のないことなのかな…」
「そのとき、そこにいた人にしか、感じられないこと」
そして私は思う。
「せめて、私たちが今見ているものや、聴こえているものは、忘れないでいたいね」
と…。
そしたらとつぜん、黄色い小鳥ちゃんは思いだしたように言った。
「そういえばあの御方、ご丁寧にお土産をおいていったみたいよ」
…私はとっさに、頭に手をやる。
「ひぇ~!まただ!」
黄色い小鳥ちゃんは、とても満足そうに微笑むのだった。
つづく
♪参考文献 「歩いてわかる中央区ものしり百科」中央区観光協会/「中央区の昔を語る1 八丁堀・佃島」中央区教育委員会 1989年
中央区観光協会特派員 湊っ子ちゃん
第121号 令和3年4月4日