湊っ子ちゃん

連載小説「Kimagure湊だより」第5話中央区のデパートの匂いは甘く香ばしく流れる

第5話 中央区のデパートの匂いは甘く香ばしく流れる


 今日は黄色い小鳥ちゃんと、ちょっとおめかしして、日本橋髙島屋にきた。

 黄色い小鳥ちゃんは、いつも首にまいている赤いネッカチーフのはじっこに、ちいさなブローチをつけている。ブローチといっても、小鳥ちゃんのブローチは葉っぱだ。ほんの小指の爪くらいの、ちいさなちいさな緑の葉っぱを飾って、おすまし顔の小鳥ちゃん。

 髙島屋通りの桜の木も、だいぶ芽吹いてきた。ここからまっすぐ、東京駅のほうまで、桜並木は続いている。

 髙島屋のショーウインドウは、見ているだけで楽しくなってしまう。この日は、髙島屋のローズちゃんの、いろいろなポーズとファッションの展示がしてあった。

 ローズちゃんが誕生したのは、昭和34年だ。そのときはハッピーちゃんという名前で、クリスマス向けに、子供にも喜ばれるお店づくりを目指してのことだった。聖歌隊で歌うハッピーちゃんだ。そのあと、ラッキーちゃんが現れ、いまのローズちゃんになったのは、昭和37年だそう。

 入り口の前に立って見上げると、なかなか迫力のある建物だ。寺院風の意匠が、随所に散りばめられている。入り口の重厚な扉は、卍くずし。威厳を感じさせる。なんといっても、1階と2階の吹き抜け部分は美しい。天井は、格式高い格天井。それを、寺院風の独立柱が支えている。優雅な中央階段。2階部分に並ぶバルコニー。訪れるたびに、繊細な装飾に目をうばわれる。

 エスカレーターのたもとに、一輪の薔薇をもったローズちゃんがいた。私と黄色い小鳥ちゃんを、丁寧に出迎えてくれる。

「どうもありがとう」

 黄色い小鳥ちゃんは、ちょっと気どって、ローズちゃんに会釈した。私は、それを見てくすっと笑う。

 階段と階段のとちゅうにある、ちいさな入り口を入ってゆくと、そこは喫茶店になっている。私はあったかいコーヒーとサンドイッチ、黄色い小鳥ちゃんはミルクを注文した。そこに、今日はちょっとぜいたくに、チョコレートケーキを添えてみる。

 そもそも、この喫茶店にくることになったのは、中央区観光検定の試験問題がきっかけだった。
銀座二丁目にあるヨネイビルディングは、中世ロマネスク風のねじり柱をとりつけた個性的な窓が並んでいる。その”窓”の種類を問う問題だった。

 ア.バラ窓 イ.火灯窓 ウ.三連窓 エ.アーチ窓

 この4つの中から、正しいと思う答えをひとつ選ぶ。私は、もちろん「エ.アーチ窓」を選んだ。答え合わせをすると、正解!ガッツポーズをした私は、すっかり上機嫌になりながら小鳥ちゃんに言った。

「この4択笑っちゃう!バラ窓だって!どうしてバラ窓が4択に入ってくるの?バラ窓って言ったら、日本橋髙島屋にある喫茶店の名前じゃん!」

 そう言って、私はおなかを抱えて笑った。

 そんな私を、黄色い小鳥ちゃんはしずかにみつめ、とても意味ありげに微笑んだのだ。

「あなた、それ本気で言っているの?」

 笑いすぎて涙がでながら、私は小鳥ちゃんをふりむく。

 一瞬目が合い、そしたら今度は小鳥ちゃんが、おなかを抱えて笑いだした。

 私は、きょとんとする。

 黄色い小鳥ちゃんは、ひととおり笑ったあと、

「いいわ、こんど髙島屋の ”薔薇窓” へ連れていってあげる」

 と言った。

 

 連載小説「Kimagure湊だより」第5話中央区のデパートの匂いは甘く香ばしく流れる

「デパートのなかにある喫茶店って、なんかいいよね。特別なかんじがする!」

 私はつい、はしゃいでしまう。黄色い小鳥ちゃんも、

「わたしも、デパートって大好き。お店に入ったときの匂いがいいわ。なにかしら、1階のお化粧品売り場の匂いと、地下の食料品売り場に並ぶごちそうの匂い、それから、お客さんたちの、おめかししてきた匂い…」

「防虫剤とか、タンスの匂い!」

「かしこまった匂い!」

 と、私と黄色い小鳥ちゃんは言い合う。

「私、匂いで中央区にあるデパートを当てられるかも!」

 と、思いたつ。

「ほんとう?」

 黄色い小鳥ちゃんは、身をのりだす。

「じゃあ、三越の匂いは?」

「日本橋の三越は、極彩色の匂い!」

「それって、どんな匂いなの?」

「お江戸日本橋400年の歴史と伝統の混ざり合った匂い。江戸時代の町人たちの、着物の匂いがまだ残ってそう。そこに、現代人のお洒落な風が吹き込んでいる!」

 と、私。

「じゃあ、銀座の三越は?」

「三原色の白の匂い!」

「それってどんな?」

「国際色豊かな銀座4丁目交差点の、たくさんの色味が混ざり合って、結局白に戻るような、クリーンアップされた匂い!」

「でも、その奥にはいろいろな文化の匂いがありそうね」

「中央区銀座の文化だけではなくて、そこに集う人たちが、それぞれのまちから連れてきた文化。それから、歴史やまちの匂い。雰囲気」

「いいわね!」

 銀座といえば、松屋もある。

「松屋は昔の銀座の匂いが残ってる」

「これだけ変わってゆく銀座のまんなかで、なつかしい匂いをとどめているのね」

「エアーポケットのようなデパート」

「でも、進化しつづけている」

「もちろん。古き佳き時代の銀座を探しにゆける」

「そういうの、うれしいわね」

 そして、いちばん新しい GINZA SIX。

「近未来の匂い」

「それって?」

「電気っぽい匂い」

「たしかに、あの空間にいると、異次元に来たような心地になるわね。吹き抜け部分の天井から吊るされた装飾は、その華やかさに圧倒されるわ」

「でも、あちこちに扉が隠されている」

「なんの扉?」

「江戸時代に戻れる扉」

「そうね、GINZA SIX は、昔からの銀座の町割りや路地を守るために、建物のなかに通り抜けできる動線を作っているのよね。そういうの、素敵よね」

「タイムトンネルみたい」

 そして、

「日本橋髙島屋は、やっぱり特別!」

「さんせい!」

「デパートに来た!っていう感じ」

「来る人を、包みこんでくれるような気配を感じるわね」

「髙島屋の神様がいるのかな」

 そして私たちは、しばし思いを馳せながら、それぞれの飲み物をすする。

 ところで…と、黄色い小鳥ちゃんは私を見た。

「バラ窓の謎はとけたかしら?」

 私は、くすくすっと笑って、

「あれから、ちょっと調べてみたんだ。そしたら、バラ窓って、車輪のスポークみたいに、中心から放射状に装飾が伸びて、そのあいだを花びらの形で埋めたような、そういう丸い窓のことなんだって。喫茶店の名前じゃなかった!」

 すると、黄色い小鳥ちゃんもくすくすと笑った。

「中世ヨーロッパの教会とかに、よく見られる窓よね。尖頭アーチのなかに、バラ窓を埋め込む装飾をよく見るわね。ステンドグラスのこともあるわ」

「でも、知らなくてよかった。こうして、薔薇窓に来られたもん!」

 と、私は笑う。

 

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 日本橋髙島屋の本館は、地下2階、地上8階建てで、婦人服、子供服、紳士服、スポーツウェア、シューズ、ランジェリー、リビング用品、文房具、ギフトと、見ているだけで楽しくなってしまう。食堂やレストラン街はもちろん、途中で休憩できる、ちいさな喫茶店がところどころにあるのも、嬉しい。

 ストアコンシェルジュ、売り場マイスター、セールススペシャリストなど、専門知識を持つ店員さんが、買い物の相談に乗ってくれるのも、髙島屋ならではだ。また、荷物を預かってくれるクロークや、コインロッカーがあるところも、遠方からおでかけのお客様に喜ばれている。

 そして日本橋髙島屋といえば、手動式エレベーターだ。大理石の内壁は、木目を思わせるあたたかな趣だ。エレベーターは、アメリカ・オーチス社製で、改修など施されているものの、創建当時のものだという。

 エレベーター・ガールのお姉さんが、礼儀正しく案内してくれる。それぞれの階を示す声の響きや、ピンと伸ばされた白い手袋をした指先は私たちに、今日が特別な日と、自然に思わせてくれる。私と黄色い小鳥ちゃんは、しばらく背筋をのばして照れながら立っていた。

 屋上へついた。

「わーすごい!」

 私たちは、そこから見える景色に圧倒される。

「佃のリバーシティ21も見える!」

「なんだか不思議!」

「なぜだろう、高いところに上ると、自分の住んでいるまちを探しちゃうよね」

「見慣れている建物や、知っている景色をみつけると、なんだか嬉しくなるわ」

「こうして見ると、中央区って、日本橋地域も京橋地域も、近いんだね」

「面積は10.21k㎡だったかしら。とても小さい区なのね」

「そのなかに、ぎゅっと詰まってるね!」

「語りつくせないほどの魅力が!」

「フルコースみたいなまち!」

 そして、私と黄色い小鳥ちゃんは、青空に向かって息をいっぱいに吸う。

 髙島屋の歴史は古い。

 天保2年、初代飯田新七が京都烏丸で「たかしまや」をおこしたのがはじまりだ。はじめは、古着木綿商だった。呉服や太物を扱うようになったのは、安政2年からだ。

「東京店ができたのは、明治33年で、そのときは京橋区西紺屋町に開いたそうよ」

「西紺屋町って、今でいうとどこだろう?」

「銀座2丁目から4丁目の、外堀通り沿いね。染物職人が集住していたのよね。やっぱり、そのことに由来するのかしら」

「おもしろい! 最初は、日本橋地域じゃなくて、京橋地域にあったんだ!」

 そして私は、その方向を眺めてみる。もっとも、今はその面影もなく、ビルディングばかりだ。

 黄色い小鳥ちゃんは、古い写真をポシェットからとりだした。小鳥ちゃんのポシェットはちいさいので、写真がいくつにも折りたたんである。小鳥ちゃんは、きれいにそれを広げて、私に見せてくれた。

「わー、すごい!」

 モノクロの、年季の入った写真だ。

「これは?」

「その頃の写真よ」

 と、黄色い小鳥ちゃん。

「外観は石積み煉瓦造りの感じね。二階建てだわ。ペディメントが印象的ね」

「ペディメントって?」

「ほら、建物の正面や、入り口や窓の上にある、三角形の破風のことよ。古代ギリシャ建築によくみられるのよ」

「なんとなく、日本銀行本店本館のデザインに似ていない? 」

 私は思う。

「そういえば、日本銀行本店本館ができたのは、明治29年だったわね。辰野金吾の設計で、ベルギーの中央銀行を参考にしたらしいわね。ネオ・バロック建築だったかしら」

「壁に”SILKS”の文字があるね。よく見ると、わきのほうに箱車がたくさんとまってる。商品をお客様に届けていたのかな」

「建物の正面にも、全体的にスロープが付いているわね。商品を出し入れしやすいようにかしらね」

 黄色い小鳥ちゃんは、もう一枚写真をみせてくれた。

「そのあと、南伝馬町に新築開店するのよ。大正5年のことよ」

「南伝馬町?」

「やっぱり、京橋のあたりね」

「そうかぁ…、”三伝馬町”といって、大伝馬町・小伝馬町・南伝馬町が、公用旅行者のための人馬の継立てをしていたんだったね」

「その南伝馬町が、いまの京橋の、中央通りをはさんで両側に広がっていたのね」

「両側町だ!」

 私は、手をたたく。江戸の町は、公道をはさんで両側が、ひとつの町だった。

「このときの建物は、写真を見るかぎりでは、3階建ての木造建築風ね。左右対称、中央は寄棟屋根で、左右は方形屋根。窓のなかに、カーテンがかかっているのが、和洋折衷っぽいわね。店の前には、モダンな車がとまってる。大正ロマンの到来ね。筆文字の大きな看板が存在感を出しているわ」

「小鳥ちゃん、こんな貴重な写真、どうしたの?」

 私がたずねると、

「小鳥は、思いもよらないものを持っているものなのよ」

 と、おすまし顔で言った。

 

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 いまの日本橋髙島屋の建物ができたのは、昭和8年で、高橋貞太郎による設計だ。

「建物のデザインは、一般公募だったんですって」

 と、黄色い小鳥ちゃん。

「そうだったんだね、知らなかった!」

「高橋氏のはじめのデザインによると、本当は最上階の軒まわりに破風がつく予定だったそうよ」

「じゃあ、もっと和風っぽかったんだね」

 大正、昭和初期の建築物は、大きく3つの方向にわけられるという。

 ひとつは、歌舞伎座のように、日本の伝統的な建築様式を、木造ではなく鉄筋コンクリート等の最新技術を使って実現したもの。ふたつめは、築地本願寺のように、日本をふくめた東洋の意匠をミックスしたもの。みっつめは、日本橋髙島屋のように、西洋的な建築のなかに、和風の要素をとりいれた、和洋折衷なもの。

「明治にはいって、擬洋風建築というものが流行したじゃない? 築地ホテル館がそうだけど、小屋組みは和式でありながら、外観だけは洋風、というスタイルね。これは、西洋の建築に憧れて、洋館を作るようになったけれど、日本の大工さんたちは、まだ洋式の小屋組みを知らなかったのよね。だから、中身は日本の伝統的な小屋組みなの」

 と、黄色い小鳥ちゃん。

「そんな時代を経て、明治43年に国会議事堂を新築しようということになったとき、これからの日本の建築をどうするかという課題を、見直すようになって、そんな流れのなかで、日本橋髙島屋のデザインは生まれたらしいわ」

 

 ちいさな薔薇園があり、眩しい陽射しがふりそそいでいた。噴水の水滴が、ゆるやかに踊る。新館へ続くほうに行くと、なにやら曲線のうつくしい小さな白い建物にであった。

「屋上のこんな目立たないところに、変わった建物があるんだね」

 と、私は不思議そうにする。

「象の高子ちゃんをモチーフにした造形らしいわ」

 と、黄色い小鳥ちゃん。

「ほんとうだ! 象みたいな形」

 日本橋髙島屋の屋上には、象の高子が住んでいた頃もあった。昭和25年にタイから日本にやってきた。

「銀座通りをパレードし、日本橋までたどりついたんですって」

「わー! たくさんの人が集まって、すごい熱狂ぶりだったんだろうね!」

 私は想像して、胸があつくなる。

「高子ちゃんは、戦後の日本のみんなに、元気を与えてくれたのよ」

 建物のまえには、笠森稲荷、というちいさなお社がある。

 日本橋髙島屋が店舗を増築したときに、予定地にあった笠森稲荷を、屋上に移設したという。

「昭和27年から40年にかけて、村野藤吾によって近代建築の手法を取り入れながら、増築がなされたのよ」

「それを感じさせない、自然な一体感があるね」

「笠森稲荷は、摂津国島上郡にある笠森稲荷神社の分社として、日本橋地域で愛されていたわ。いまの、大阪府高槻市ね」

 と、黄色い小鳥ちゃん。

「上方から来た神様なんだね」

「江戸のまちをつくったのは、そういった各地から集まった人々なのよね。もともと江戸の人、っていうのはいないのね。だって家康が入府したときは、葦の生い茂る湿地だったんですもの」

「江戸というまちは、たくさんの人が持ち込んだまちの風や心意気が織り交ざってできあがったんだね。そして、独特の文化を生みだした。いいね、そういうの。前向きな力がぎゅっと詰まってできたまちなんだね」

「または、時代…」

「そういう人々の気配をたっぷり吸いこんで、育まれた土地、場所。そこが中央区なんだね」

「パワースポット!」

「そうだね、中央区じたいが、パワースポットなんだ!」

「来るだけで、元気になれる!」

 平成21年、百貨店建築としては日本ではじめて、国の重要文化財に指定された。「全体が一体不可分の建築作品として完成度が高く、わが国の百貨店建築を代表するもののひとつとして重要」という評価を受けた。指定名称は、”髙島屋東京店”だ。

 

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 帰りに、地下1階の食料品売り場に寄る。

「おいしそうなものがいっぱい!」

 私と黄色い小鳥ちゃんは、あっちへ行ったりこっちへ来たり、きょろきょろしてしまう。結局、まるくて大きなパンと、ベーコンとサラダを買った。それから、お菓子のコーナーにも行って、ひととおり見て回る。

「日本各地のお菓子が揃っているんだね!」

「旅行した気分になっちゃう!」

 まだ行ったことのないまちのお菓子を選んでみる。くるみがたっぷり入った、四角いサンド。あんこを包んだパイ、緑色のおまんじゅう。

 すると小鳥ちゃんが、わたしこれがいいわ!と、小箱にくちばしを向けた。それは、和紙で装飾された、ほんのてのひらサイズの小箱で、引き出しまでついている。開けると、金平糖や甘い和菓子が入っている。

「いいね!食べ終わったら、文房具とか入れて使えそう!」

 私が言うと、黄色い小鳥ちゃんは、

「わたしの部屋にするわ」

 と言った。

「小鳥ちゃんの部屋?」

 たしかに、引き出しのなかにちょこん、と座る黄色い小鳥ちゃんの姿が思いうかんだ。引き出しを開けたままにしておいて、窓辺に置いておくといいかも。赤い和紙の模様に、小鳥ちゃんの黄色い羽根はとてもよく似合いそう。

「いいね」

 私は言って、買うことにする。

 小鳥ちゃんの部屋だけ、プレゼント用にしてもらった。ピンクの薔薇の模様の、素敵な包装紙に包んでもらう。

「わー、きれいだね!」

 と、私と黄色い小鳥ちゃんが顔を見合わせると、

「イングリッシュ・ローズの輪バラでございます。以前は、モダン・ローズだったんですよ。この模様は4代目で、平成19年から使用しております」

 と、店員さんが顔をあげ、にっこりと笑った。

「たしか、ドイツの国立マイセン磁器製作所から、髙島屋さんへ贈られた絵皿がモチーフでしたわよね?」

 と、黄色い小鳥ちゃんが、とつぜんよそいきの声をだした。

「さようでございます」

 と、店員さんはびっくりした顔をして、それから、

「はじめて包装紙に薔薇をあしらったのは、昭和27年にさかのぼります。それ以来、薔薇は髙島屋のシンボルになりました」

 と、丁寧に説明してくれた。

「輪バラになったのは3代目からで、そのときはたしか、大小の薔薇を髙島屋さんの店舗に見立ててらしたのよね? 店舗が増えるごとに、薔薇を描き足すつもりでいらっしゃったそうですわね」

 と、気どりやさんの黄色い小鳥ちゃん。

「よくご存じでいらっしゃいますね!」

 と、店員さんは顔を輝かせる。

「わたくしたち、店員のあいだでもあまり知られていない、まぼろしのエピソードでございます。残念ながら、コストがかかり過ぎるという理由で、薔薇が描き足されたのは、たった1回でしたが…」

 と言って、それから、

「ものしりな小鳥のお客様は、はじめてでございます」

 と、胸をいっぱいにして微笑んだ。

 

 

 中央通りを、京橋のほうへ歩いて帰る。振り向くと、日本橋髙島屋の赤と白のふたつの旗が、風に揺らめいていた。

「東京で暑いところ、髙島屋を出たところ」

 と、とつぜん黄色い小鳥ちゃんが言った。

「なぁに、それ」

 私が笑うと、

「当時の、全館冷暖房完備をうたった宣伝コピーよ」

 と、黄色い小鳥ちゃん。

「冷房や暖房があるって、すごいことだったんだね」

「全国で、百貨店としてはじめての設備だったらしいわ」

 私は感心して、それから、

「春が来るところ、髙島屋を出たところ」

 と言ってみる。

 桜の蕾はふくらんで、春がちかいことをおしえている。おもえば、風がもうすっかり柔らかい。

「髙島屋にいるあいだに、よりいっそう春の匂いが濃くなった気がするわ」

 と、黄色い小鳥ちゃんは言った。

「ほんとうだ…甘くて香ばしい匂い」

 私は、鼻をクンクンさせる。

 すると、黄色い小鳥ちゃんは一瞬考えて、

「それって、今買ったパンとベーコンの匂いじゃない?」

 と笑った。

「そうかぁ!」

 と、ふたりして朗らかに笑う。なんだか、とっても楽しかった。

「また来ましょう!」

「うん、また来ようね!」

 私たちはそう言って、楽しかった1日をもう一度、ぎゅっと胸のなかに閉じ込めた。


つづく

 

 

♪この物語は、数年前に筆者が日本橋髙島屋をおとずれたときの、”記憶”に取材したフィクションです。現在のサービス内容、または昨今の情勢をふまえた対策等については、日本橋髙島屋ホームページをご確認ください。

♪参考文献 「歩いてわかる中央区ものしり百科」中央区観光協会/「中央区の文化財(七)建造物」中央区教育委員会 昭和63年/日本橋髙島屋ホームページ/「日本橋髙島屋コンシェルジュの最高のおもてなし」敷田正法 2014年

 

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中央区観光協会特派員 湊っ子ちゃん
第131号 令和3年5月30日