隅田川の起点と終点と。
隅田川の河口、いわゆる河川の終点は、東京湾に注ぐ地点です。
写真を撮っている築地大橋は、隅田川の最も下流に位置する第一橋梁です。
私にとっての第一橋梁は、「重要文化財の勝鬨橋」であった期間が長かったため、微妙な違和感を抱いていました。
でも、「時の経過」とは大きな力を持つもので、次第に風景に馴染んでくるのです。
何よりも環状2号線として、豊洲~築地を結ぶ利便性の向上が、橋の印象を変えていきました。
橋は使われてこそ真価を発揮するものです。
橋梁形式、鋼3径間連続中路式アーチ橋。橋長、245m。
外側(歩道側)にアーチリブを約14度傾けた、未来への広がりを想起させる構造ディテール。
平成30年(2018年)11月4日に開通しました。
東京の新たなランドマークです。
築地大橋は、平成30年「土木学会田中賞」を受賞しました。
これは、橋梁・鋼構造工学に関する優秀な業績に対して贈られるものです。
この賞は、関東大震災後の首都復興に際し帝都復興院初代橋梁課長として、隅田川に架かる永代橋や清洲橋など数々の名橋に携わった、田中豊博士に因むものです。
何か大きな意思が、百年あまりの時の流れを結びつけているようです。
なんとなく、東京2020マスコットの「ミライトハ」の耳に似ていると思いませんか。
リアル河口
「隅田川の河口は、もっと先」とおっしゃる方の為に、月島ふ頭からの眺めも付け加えておきます。
川をさかのぼります。
都心を流れる河川は、防災のために、川と街とが高い堤防でさえぎられています。
そこを活用し、喧噪を離れた空間が出現するのです。
両岸に隅田川テラスが整備されています。
人口密集の都市の中央にありながら、空の広がりが感じられる魅力的な場所。
ランニングやウオーキングにとても適したコースです。
川沿いのコースならではの事象があります。
潮の干満によって、川の水が岸を洗う時があるのです。
シューズは濡れますが、月の引力を目の当たりにすることができるのです。
赤水門、青水門
さて、隅田川の起点はというと、河口から23.5㎞あまり遡った、北区志茂にある岩淵水門(いわぶちすいもん)です。
現在の荒川と隅田川を仕切る水門です。
新旧二つの水門があり、塗られている色彩から、旧水門を赤水門、新水門を青水門と呼ばれています。
現在運用されている青水門は、昭和57年(1982年)に竣工しました。
10m幅のゲート3門で構成されており、荒川上流の流量が増えると水門を閉じ、隅田川の洪水を防ぎます。
近くの草むらから、肉の焼ける美味しそうな香りがします。
何事かと近寄ってみると、キャンプ用コンロを使い、香辛料を利かせたステーキを焼いていました。
究極のお一人様グルメ。
赤水門は、大正13年(1924年)に竣工し、9m幅のゲート5門で構成されています。
青水門の完成により役割を終えました。が、地元の人などからの働きかけで保存されることになりました。
平成11年(1999年)には、東京都選定歴史的建造物に選ばれています。
サッカーボールを持った子供達を連れたコーチでしょうか。
川の中に立てられた標柱を指さしながら、
『ほら、あった。上から5番目。一昨年の台風の時、あそこまで水が上がったんだ。』
「7.17m。令和元年10月13日。」
「えっ、ほんと。やべー。この辺、埋まっちゃうじゃん。」
「そん時、家も水に浸かったの。」
『この堤防があったから、家は大丈夫だった。』
『雨も風も凄くて、川の水が真っ黒に渦を巻いて、怖かったぞ。』
「ほんと、やべー。」
想像を飛ばした子供達の、息をのむ音が聞こえるようでした。
こんなに穏やかな川面なのに、ひとたび牙をむいたときの恐ろしさ。
「水を治めるものは、国を治める。」
荒れ狂う流れと戦ってきた、先人達の足跡をしのぶ「川めぐり」になりました。