銀造

隅田川 重要文化財三橋 ドボラジ・ポロシャツでガイド 勝鬨橋

 中央エフエムのHello Radio City のブログを見て、「ドボラジのポロシャツプレゼント」に応募しました。

当選してお送り頂いた「ドボラジのポロシャツ」を着て、隅田川の三橋の一つ、勝鬨橋をガイドしました。

帽子には、84.0の中央エフエムの缶バッジ。

キャップを被っていると、「若返ったね!」と言われました。

運上所跡 切絵図を持ってガイド

運上所跡 切絵図を持ってガイド 隅田川 重要文化財三橋 ドボラジ・ポロシャツでガイド 勝鬨橋

 明石町の水炊きで有名な、料亭・治作さんの入り口前には、「史跡 運上所跡 東京税関発祥之地」の石碑があります。 ガイドの為に、「東都名所 鉄炮図明石橋之景」を用意しました。この浮世絵の真ん中に運上所が描かれているのです。 「浮世絵や写真を使用して、石碑に色を添え、分かりやすい説明に努めている」銀造です。

運上所跡は、治作さんの玄関左にあります。 お店では、HPに築地の歴史と文化も紹介して下さっています。ご一読下さい。アクセスもご確認下さい。http://www.jisaku.co.jp/history/

 

築地本願寺 重要文化財 歩いてわかる中央区 6/27は蓮の花も咲いていました

築地本願寺 重要文化財 歩いてわかる中央区 6/27は蓮の花も咲いていました 隅田川 重要文化財三橋 ドボラジ・ポロシャツでガイド 勝鬨橋

 築地という名前の意味、横山町の御坊が明暦の大火で焼失し、佃の門徒が一致協力して、海を埋め立てて現在の基盤となる土地を築造したことから、「築地」という名前が出来たこと。関東大震災で壊滅的な被害を受けて58の子院が分散したこと、(計画していた皇紀2600年の万国博覧会の為に、晴海通りが完成したこと、勝鬨橋が架橋されたこと。南向きの御本堂が西向きになったことなど)。 昭和になって伊東忠太博士により、「古代インド洋式を模した石造建造物として昭和9年に再建された事、このご本堂と門柱(正門・北門・南門)、石塀が国の重要文化財に指定されていることなどをお話しました。 

 中央区観光協会の「歩いてわかる中央区ものしり百科」は、中央区観光協会、京橋エドグランの中央区観光情報センターでも販売しているとの事です。 どうぞ、知的好奇心を満たすためにご利用下さい。

築地明石町 居留地跡、ミッションスクール跡を訪ね

築地明石町 居留地跡、ミッションスクール跡を訪ね 隅田川 重要文化財三橋 ドボラジ・ポロシャツでガイド 勝鬨橋

 聖路加国際大学は播州赤穂浅野藩の敷地でした。浅野家のお屋敷は江戸城刃傷事件でお取りつぶしの後、いくつかの藩の屋敷になりました。 明石町地区は、明治になって、沢山のミッションスクールが建てられました。 青山学院大学の前身であった「海岸女学校跡」では、アメリカ留学から帰国した津田梅子が、英語教師を2か月ほど勤めた事、女性の地位向上のためには、専門的な知識と学問が必要とお思いを強くして、津田塾大学の設立を決意したことなどを披露しました。

 明石町には16ほどの外国の公使館が設置されました。 

オーストリア・ハンガリー公使館跡では、クーデンホフ侯爵とミツ子さんの恋・ご結婚、生涯などのお話などを紹介し、女性客から喜ばれました。