考察 数寄屋橋界隈 ⑥終
~ 番外編 ~
リモートで、愛する中央区をナビゲートします、rosemary sea です。
シリーズでご案内します「考察 数寄屋橋公園界隈」、今回は最終の第6回として「番外編」をご紹介します。
それでは・・・
明治大学発祥の地
明治法律学校(現明治大学)は、明治14年(1881年)1月17日に旧肥前島原藩主松平氏の上屋敷であったこの地に開校した。
創立者の岸本辰雄、宮城浩蔵、矢代操の3人は、貢進生として鳥取藩、天童藩、鯖江藩を代表して大学南校に遊学し、つづいて明法寮でボアソナードにフランス法を学んだ。
その後フランスに留学し、とくに「権利自由、独立自治」の精神の普及をめざして本学を設立した。
当時彼らはいずれも30歳に満たぬ白面の書生(はくめんのしょせい:年が若くまだ学問を十分に積んでいない人)であった。
明治大学発祥の地(深溝【ふこうず】松平家上屋敷跡)
かつて外濠川に面したこの付近には、1691年(元禄4年)以来、肥前島原藩(現在の長崎県)などを治めた深溝松平家の上屋敷が置かれていました。
明治維新後、屋敷は、政府の収用を免れて貸し出されることになり、民権結社による演説会などが盛んに催されました。
1881年(明治14年)1月17日、若き法律家である岸本辰雄・宮城浩蔵・矢代操は、屋敷の一部を借り受け、同心協力して明治法律学校(明治大学の前身)を開校し、1886年(明治19年)に神田区駿河台南甲賀町(現在の神田駿河台)へ移転するまで、我が国の近代化を担う法曹の育成に努めました。
1995年(平成7年)、同地に「明治大学発祥の地」碑が建立されました。
・・・ロズマリの母校の発祥の地が、中央区から10歩ほど入った千代田区にあったとは。
知ったのは最近です。
数寄屋橋公園
銀座5-1-1
東京メトロ銀座線・丸ノ内線・日比谷線 銀座駅 C2出口を出て戻るかたち、すぐです。
今回ご紹介の「明治大学発祥の地」はさらに進んで「銀座ファイブ」を過ぎて最初の左角にあります。
上の地図では「現在地」の赤枠の斜め右上「数寄屋橋バス停」の、そのまた斜め右上の「i」の青い点のところです。